シリアで紛争が始まって6年。いまだ解決の見通しは立っていません。激しい戦闘下にある場所はシリア全域に広がり、国を追われた人はついに500万人を越えました(※1)。トルコ、レバノンなどの周辺国には、難民が押し寄せています。また、逃れる手段がなく、危険な国内に留まっている方も多くいます。
出身国別で世界最多となったシリア難民をいかに支援するか、国際社会の協力が問われています。今回の特集では、各国のシリア難民への対応状況をお伝えします。
1. 人口の半数以上が避難民に。国外に逃れた人たちの行方は?
中東やアフリカからヨーロッパを目指すボートが地中海で転覆・遭難する事故が相次ぎ、2016年だけで死者数は5,000人(※2)に上りました。そのなかにはシリア難民も数多く含まれています。「欧州の難民問題」と報じられることも多いシリア難民ですが、どこにどれくらい逃れているのでしょうか。
・オレンジ色:2011年4月~2015年7月に難民申請したシリア人が100人以上おり、さらに「第三国定住」という枠組みで難民キャンプなどからシリア人の受け入れを表明している国
・黄色:「第三国定住」による受け入れは表明していないが、2011年4月~2015年7月に難民申請したシリア人が100人以上いる国
・出典:EUROPE: Syrian Asylum Applications/UNHCR (2015/07)
欧州にたどり着いたのは、わずか8%
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が把握しているだけで、568万人がシリアの紛争によって国外へ逃れています(2016年10月末時点)。また、国外に逃れることができず国内で避難生活を送る人は660万人。つまり、シリアの人口の半数以上が避難民となっているのです。
国外に逃れた中で、その8割以上は、トルコ275万人、レバノン101万人、ヨルダン65万人、イラク22万人、エジプト11万人(※1)と、周辺国に留まっています。しかし、周辺国で難民キャンプに入れる人はごくわずか。多くの人は劣悪な環境で困窮を極めています。欧州にたどり着いたシリア難民は、実は88万人・避難を余儀なくされている人の7%(※1)に過ぎません。周辺国の政府やUNHCRは、欧州をはじめとする国際社会に受け入れ枠を増やすよう要請しています。
2. 欧州など各国の対応-スウェーデンでは永住権の付与まで
欧州にたどり着いたシリア難民は現状でわずか7%とはいえ、2011年4月~2016年10月末までにドイツ45万人、スウェーデン10万人、オーストリア4万人、イギリス1万人など、各国への流入は決して少なくありません。たどり着いたシリア人のうち、例えば2015年にドイツでは100%、イギリスでは89%を難民として認定し、保護しています(※3)。当面、紛争終結の見込みがないことから、難民認定したシリア人全員に永住権を与え、すぐに家族を呼び寄せられるようにするといった特別な施策を講じるスウェーデンのような国も。
また、自力でたどり着くシリア人に加えて、難民キャンプなどから受け入れる「第三国定住」による受け入れも各国政府が名乗りをあげています。ドイツの4万人を筆頭に、シリアから地理的に距離があり、逃れてくる人は比較的少ないカナダが4万8千人、アメリカ4万3千人、オーストラリア5千人など、30ヶ国が合計16万人以上の受け入れを表明(※4)しています。カナダに至っては、2015年10月に自由党のトルドー氏が、2万5千人のシリア難民受け入れを公約に掲げて当選し、世界的な注目を集めました。当選後まもなく起きたパリ同時多発テロ事件を受け、各国がシリア難民の受け入れに及び腰になるなか、カナダは積極的な姿勢を崩しませんでした。運用上と安全上の問題から予定を2ヶ月遅らせたものの、トルドー氏は「カナダへやって来る難民の家族が恐怖でなく、歓迎の空気で迎えられるようにしたい」と受け入れを約束し、実現させました。後押ししたのは、政治的リーダーシップに加えて、市民社会の賛同と協力です。半年足らずでカナダに到着したシリア難民2万5千人のうち8,950人が「民間難民受け入れ(プライベート・スポンサーシップ)」と呼ばれる民間主導による受け入れでした。
しかし、これらの取り組みがあってなお、安全な地への避難を必要するシリア人の数には到底及びません。
▼カナダのプライベート・スポンサーシップについてはこちら
「カナダの民間難民受け入れ(プライベート・スポンサーシップ)に学ぶ」
ドイツ世論調査、57%が難民受け入れを支持
シリア難民を受け入れるにあたって、市民の理解は不可欠です。すでに45万6千人がたどり着き、さらに3万人を受け入れる予定でいるドイツでは、反発する声も少なくありません。しかし、ドイツの公共放送が2015年7月末に発表した世論調査(※5)によると、難民の受け入れを
「少なくするべきだ」 38%
「これまで通り」 34%
「もっと多くすべきだ」 23%
という結果になりました。つまり、6割近くの人々が受け入れに協力的なのです。短期間に難民が急増しているドイツの状況を考えると、受け入れに理解を示す人の割合が非常に高い結果だと言えるではないでしょうか。
移民・難民が経済を下支えしてきたドイツでも、戦後最大の受け入れ数となる見込みです。政府は「国レベルでも地方レベルでも試練となる」がドイツはこれを乗り越えられると述べ、その他のEU諸国にも協調して難民問題に取り組むべきだと呼びかけています。
▼ドイツの難民受け入れについてはこちら
インタビュー記事「ドイツはなぜ難民を受け入れるのか?政治的リーダーシップと強靭な市民社会」
3. 日本にもシリア難民がいる?
日本にも400人以上のシリア人が暮らしており、うち60人以上はすでに難民申請*6をしています。もともと留学やビジネスで日本に滞在していたところ帰れなくなった人や、安全を求めて国内外を転々とする中で、たまたま縁もゆかりもない日本にたどり着いた人など背景はさまざまです。
しかし、日本で難民認定を得られた人はわずか6人。欧米諸国と比較すると、極端に厳しい受け入れ状況です。 申請の結果が出た38人は人道的な配慮により、一時的な在留を認められていますが、難民認定ではないため、さまざまな面で困難が生じています。例えば、母国や難民キャンプに残した家族を呼び寄せられない、日本で生活を建て直す上で不可欠な支援がないなどです。
2015年9月に国連総会で演説を終えた安倍首相は、記者会見で「シリア難民問題に対して、追加の経済的支援を表明したが、シリア難民を日本に受け入れることは考えていないか?」と問われると、「人口問題として申し上げれば、我々は移民を受け入れる前に、女性の活躍であり、高齢者の活躍が先である」旨の回答をし、英ガーディアン紙など海外メディアを中心に痛烈に批判されました。
このような状況に対して、翌年5月の伊勢志摩サミットで日本政府は、シリアから「留学生」という形ではありますが、5年で150人の受け入れを表明しました。難民を、「難民」として受け入れるという方針が示されなかったのは残念ですが、この人道危機に対する「責任の分担」への新たな一歩を踏み出そうとしていることは、前向きな動きです。
日本に逃れてきたジュディさんの話
まさか、そんな深刻な問題が自分の国で起き、自らに降りかかるとは夢にも思いませんでした”
裕福な家庭生まれで、何不自由なく暮らしていたジュディさんは、罪のない子どもが殺される光景を目の前にして、反政府デモに参加するようになりました。地元の有力者だったたため、影響力があると政府から狙われ、出国を決意。弟が逃れたイギリスを考えましたが、ビザがおりず、偶然手配できたのが日本でした。家族を残し、まずは緊急性の高いジュディさんがシリアを後にしました。
彼が話せるのはクルド語とアラビア語。来日してすぐ、難民支援協会(JAR)につながりましたが、英語はほとんど話せず、コミュニケーションに苦労しました。JARはアラビア語の通訳を介して、難民申請の手続きや生活の支援をしました。
しかし、難民申請の結果は不認定。理由は、反政府デモへの参加を呼びかけたりデモへ参加した程度で危険は認められないなど、シリア情勢を度外視したものでした。さらに異議申し立ても、以下の理由で棄却されました。
“デモの最中に攻撃されるといった危険性があることは否定できないにしても、それはそのようなデモに参加した人一般の問題であって、異議申立人に固有の危険性ではない”
つまり、難民とは個別に危険にさらされる人であり、デモに参加するシリア人は皆危険にさらされるため、難民ではないという、国際的な基準からかけ離れた判定でした。人道配慮による一時的な在留は認められましたが、難民として認められなかったため、母国に残した家族を呼び寄せられないという壁に直面します。
日本と難民キャンプを結ぶスカイプ越しの2年半
家族は紛争の激化にともない、隣国イラクの難民キャンプに身を寄せていました。スカイプ(インターネット電話)で連絡はとれましたが、情勢は悪化する一方で、家族のことを考えると不安で夜も眠れなかったといいます。国を離れたとき、まだ妻のお腹にいた息子はもう2歳。一日も早い対面を望んでいました。
JARは日本政府や関係者と調整を重ね、2015年1月、異例の措置でジュディさんの家族呼び寄せを実現しました。ジュディさんは成田空港で妻と娘と2年半ぶりに、息子とは初めて会うことができました。
現在、一家は埼玉県で暮らしています。難民認定されていないため、日本語学習や仕事探しの公的なサポートはなく、日々の暮らしは大変です。妻は安全な日本にこられたことを心から喜んでいますが、クルド語しか話せないため、夫なしでは外出も難しく、子どもたちと家に引きこもりがちです。ジュディさんも日本語ができないなか、安定した仕事はなかなか見つかりません。
日本に何のつてもなく逃れてきた難民が、地域社会の一員として自立した生活を営んでいくためには、その一歩を踏み出す最初の支援が肝心です。日本で暮らすための在留資格を与えるだけでなく、日本で長く生活していくために必要な基盤づくりをサポートすることで、早い自立につながります。
▼ジュディさんの妻ファルハさんへのインタビュー
「難民」はずっと支援が必要な人ではありません。母国を追われるまで、私たちと同じように仕事や家があり、家族との日常があった人々です。異国の地で再出発するために必要なサポートをすることで、日本社会に貢献してくれる可能性が十二分にある存在です。
JARはシリア難民が適正に難民として認定され、また、日本での再出発に必要な支援を受けられるよう、政府や自治体に求めていきます。
在留資格 | 政府の定住支援 (日本語、就労支援等) | 家族の呼び寄せ | 難民旅行証明書 (”難民パスポート”) | 就労許可 | 国民健康保険 | |
---|---|---|---|---|---|---|
難民認定 | 定住者 5年 | ○ | ○ | ○ | ○ | ○ |
難民不認定 ↓ 人道配慮あり | 特定活動 1年 | × | △ | × | ○ | ○ |
* JARの実務を前提に作成
* 「特定活動」の場合の家族呼び寄せは制度的には難しいが、2015年1月にシリア難民のケースで実現したため△とした。
シリア紛争の幕引きは見えず、各地で化学兵器の使用が報告されるなど事態は悪化する一方です。シリアを平和にするための取り組みは不可欠ですが、一度失った平和を取り戻すには長い年月がかかります。その間、難民となった人々が受け入れられ、生活を再建する場所もまた必要です。
欧州各国をはじめ、経済力のある国が中心となり、数千・数万人という単位で受け入れの分担を議論するなか、日本は対岸の火事で済ませて良いのでしょうか。
日々、事務所に相談にくる難民の方々は口を揃えて言います。日本は平和で安全だと。そんな社会だからこそ、難民の保護や受け入れに関して、もっとできることはあるのではないでしょうか。
※1 Syria Regional Response/UNHCR(2015/12/31)
※2 2016年に地中海で死亡した移民・難民が5000人に、国連/AFP通信(2016/12/24)
※3 UNHCR Global Trends 2015/UNHCR(2016/06/20)
※4 Resettlement and Other Forms of Admission for Syrian Refugees/UNHCR(2016/03/18)
※5 難民、「憧れの独」でも受難 受け入れ施設に放火・襲撃/朝日新聞(2015/08/12)
※6 参議院インターネット審議中継/参議院(2015/02/09)
ほとんどは飛行機できます。日本にくるには、ビザとパスポートが必要です。やむなく偽名を使ったり、ブローカーに頼んだりして手配する難民もいます。なぜなら、政府から迫害されている場合、正規のルートでパスポートを得ることは困難だからです。難民のこのような背景を考慮して、難民条約は難民の不法(非正規)な入国や滞在を理由として、難民を罰してはいけないと規定しています。
「たまたま日本のビザが最初にでた」「ブローカーの手配した先が日本だった」などの偶然で日本にくる人が多いです。
■ 日本で暮らす難民についてはこちら
■ 動画で知る: こちら
Portraits of Refugees in Japan-難民はここにいます。
日本に暮らす難民28人のポートレート写真展
世界難民の日・6/20~26・東京メトロ表参道駅で開催
想像してください。
自分が生まれ育った国にいられなくなることを。
言葉も何も、右も左もわからない国にひとりぼっちでいることを。
会ったことも見たこともない難民も、
ひとりひとり顔も名前も違っていて、
精一杯生きていて、
みんな自分だけの物語を持っているんです。
写真展はこちらから
※ 記事・イベントは掲載当時のものです。