▲ワークショップで学ぶ女性
女性がベビーカーを押しながら四谷の事務所に入ると、喜びの声が上がった。出産後、初めての来訪だ。少し疲れた顔つきではあったが、事務所のよく知る顔ぶれを前に安堵の色を浮かべるナタリーさん(仮名)。大きな瞳が印象的な赤ちゃんはまだ生後1か月で、とても小さい。ナタリーさんが日本に逃れてきて約1年。知り合いがいない、言葉が通じない土地でのサバイバルは困難の連続で、時に、女性であることはそれをさらに難しくする。
「この男性と結婚すれば、私の人生は終わる」
アフリカのある国出身のナタリーさんは、強制結婚を拒否したことにより命を狙われるようになった。専門学校の学生だった彼女はある日、地域で権力を持つ老人との結婚を一方的に通告された。彼女の母国では女性の立場が非常に弱く、女性が男性を通さずに主張することは難しい。父親はすでに亡くなり、守ってくれる男性はいない。一切の抵抗は許されなかった。
「権力と暴力で何人もの女性を押さえつけているこの男性と結婚すれば、私の人生は終わる」
と逃亡を決意した。親戚や友人宅に身を隠しながら国内を転々としたが、追跡は執拗に続き、ある日、待ち伏せていた男たちに捕えられた。力づくで連れ戻され、今度逃げたら殺すという脅迫のもと監禁生活が始まった。「逃げても逃げなくても命はないが、逃げれば助かるかもしれない」と隙を見計らって再び脱走。友人宅に身をひそめ、見つかる恐怖から家を一歩も出られない状態が何か月にも及んだ。腐敗がはびこる警察に助けは求められない。憔悴しきって毎日泣きながら身を隠していたところ、友人の助けで女性支援のNGOに相談することができた。男が生きている限り彼女がこの国で平和に暮らしていくことは不可能と考えたNGOは、彼女を海外に逃す手配をした。手渡された航空券は日本行き。日本について何一つ知識はなかったが、今よりも悲惨な状況になることは考えられなかった。
「とにかく、男が追ってこられない場所に逃れたい」
彼女に迷う余地はなかった。
来日。望まない妊娠
見知らぬ場所、日本。空港からどこへ向かえばいいか分からない。連絡できる人もいない…。所持金がつきるまで安宿で過ごしながら、話しかけられそうな人を探した。母語はフランス語。英語は心もとないが多少は話せる。アフリカ出身らしき人を見つけては「お金も泊まれる場所も何もなく、助けが必要です」と声をかけ情報を集めた。そのなかで紹介されたのがJAR(難民支援協会)だった。藁にもすがる思いでJARに向かった。
無事、JARの手配でシェルターに入ることができ、難民申請と公的支援の申請を進めた。公的支援の申請結果が出るまでは、JARからの支援でなんとか生きつないだ。しばらくして公的支援が得られるようになり、これからのことをようやく落ち着いて考えられると思った矢先、妊娠が発覚した。信じたくなかったが心当たりはあった。
来日して所持金が尽きた時、泊まる場所がなく、通りすがりのアフリカ出身の男性に助けを求めたところ、泊めてもらう代わりに関係を迫られたのだ。抵抗する術、身を守る知識もなく応じるしかなかった。とても一人で育てられる状況ではない。産む決断は下せず、相談のため再びJARを訪れた。生活支援担当スタッフが病院と交渉し、すぐに受診が叶ったが、赤ちゃんはすでに大きく、産む以外の選択肢はなかった。ナタリーさんは「目の前が真っ暗になり、状況を飲み込めなかった」と話す。
JARはその間、彼女が出産と向き合えるよう、寄り添ったカウンセリングを行いながら、出産に向けた病院との交渉や行政手続きを支援した。毎回の定期検診に同行したスタッフは「笑顔が少なくなり、暗い表情を見せることが多く心配でした。苦しい決断だったと思います。本当に強い方です」と振り返る。そして、この春に無事、女の子が産まれた。
「いつか、母国の状況を変えたい」
「母国では、親戚みんなで子育てをするけれど、私はいま日本で一人です。日本に来てから、姉と数回電話をしましたが、先日から通じなくなってしまいました。次、いつ連絡が取れるか分かりません。初めての子育てを慣れない土地で、一人でするのは不安です。分からないことはユミ(生活支援担当スタッフ)に電話で聞いています。JARの育児相談会にも参加し、育児のイロハを勉強しています。日本語が読めない私にとってJARが唯一の情報源です」と話す。
同じように、はじめての子育てを日本で経験する難民は増えている。育児相談会では、育児の基礎知識を伝えると同時に、孤立した状況で子育てをする母親に自信を持ってもらうことを目的としている。彼女に今後について尋ねると、「今は私のことも子どものことも、先を一切考えられません。毎日を生きるので精一杯です。不安ですが限られた選択肢のなかで頑張るしかありません」と、笑顔が消えた。
それでも彼女はこう続けた。「こんな状況ですが、母国よりずっと安全だと感じています。今を乗り越えられたら、法律の勉強をして母国の女性たちのために立ち上がりたいです。多くの女性たちは女性であるというだけで何の発言も許されずに、暴力をふるわれ、物のように扱われています。法律の知識があれば女性でも立ち向かえます。もし、日本社会へのお願いが許されるなら、日本に逃れてきた難民に教育の機会を与えてほしいです。多くの難民は母国の悲惨な状況から抜け出せた者として、母国の状況を変えたいと思っています。母国の酷い状況を身を持って知る難民が日本のような先進国で教育を受けられれば、状況を変えられる人材になるかもしれません」と語ってくれた。
「交通費を考えるとなかなか来られないから、今日はたくさん持って帰らなくちゃ」と、粉ミルクや紙おむつを両手とベビーカーにかけ、笑顔で事務所をあとにするナタリーさん。この1年のうちに、異国でのサバイバルに加えて、妊娠・出産を経験した彼女の苦悩は計り知れない。それでもまだ、笑顔をつくれる強さに圧倒される。彼女のように単身で逃れてくる女性は増えており、来日後、望まない妊娠につながってしまったケースはナタリーさんに限ったことではない。JARは今後も、より脆弱な立場に陥りがちな女性の保護と支援をしていく。