難民を知る

難民について。難民とは
難民の置かれている状況と問題とは?

難民となって突然すべてを失った

日本に逃れてきたあるエチオピア難民の言葉です。
難民とは、紛争や人権侵害から住み慣れた故郷を追われ、逃れざるを得ない人びとのこと。難民となる前は、私たちと同じように家や仕事があり、大切な人との日常がありました。逃れた先での生活は、失った「当たり前」を取り戻すことからはじまります。ここ日本にも、そんな難民となった人びとが逃れてきています。

01 難民ってどんな人?

「難民」と聞くと、自分とは違うどこか遠い存在と感じるかもしれませんが、実際はどうでしょうか? 難民とは、紛争や人権侵害などから自分の命を守るためにやむを得ず母国を追われ、逃げざるを得ない人たちのことです。
たとえば、こんな事例があります。

あるシリア難民の話

シリアのアレッポ出身です。長年、教師をしていました。妻と3人の子どもがいます。アサド政権による弾圧が激しくなる中で、ある日、町で子どもが殺されるのを目の当たりにしました。私たち夫婦は子どもを守るために、町を離れることを決意しました。ほかに選択肢もなく、迷う時間もありませんでした。最低限の荷物だけを持ち、隣国のトルコまで歩いて逃れました。祖父は高齢で体力がなく、今もシリアに残っています。

「難民問題」ってどんな問題?

写真:難民のイメージ

難民問題とは、人の命や人権、そして難民を取り巻く世界全体に関わる問題です。本来は、「人の命を救う」というシンプルな話ですが、難民が生まれる背景には、政治体制、歴史、民族や宗教の対立、南北問題、貧困問題などさまざまな事柄が複雑に絡んでいます。つまり、難民問題は一国では解決できないグローバルな人道問題といえるでしょう。国連や NGO/NPO の間では、「負担/責任の分担」がキーワードであり、国際社会として、どう協調し、解決策を模索するのか、各国の対応が問われています。

コラム

02 世界の難民の状況は?

全世界で避難を余儀なくされた人

1.2億人

出典:UNHCR発表(2024年6月)

世界では、約1.2億人の人々が、故郷を追われています。アフガニスタンやウクライナ、ミャンマーなど各地での危機の頻発や人道問題の長期化により、近年、難民となる人は増え続けています。たとえば、スーダンでは2023年に発生した紛争により、710万人が国内で避難生活を強いられ、190万人が近隣諸国に逃れています(2024年5月時点)。シリアからも、なお650万人が国外に逃れています。

難民の歴史

歴史を振り返ると、いつの時代も「難民」は存在してきました。しかし、「難民問題」として国際社会に注目されるようになったのは、 ロシア革命やオスマン帝国の崩壊などで難民が急増した第一次世界大戦以降のことです。第二次世界大戦中にはホロコーストが起き、難民を保護する必要性がより高まりました。第二次世界大戦後の1950年には、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が設立され、1951年には難民条約が生まれました。

問題解決に向けた取り組みと課題

難民を生みだしている国

難民を生み出している国

難民を受け入れている国

難民を受け入れている国

出典:UNHCR Global Trends 2018を加工

国連は、解決の方法として3つの提言をしていますが、それらの限界も指摘されています。 ひとつ目は「平和になった母国へ帰ること」です。しかし、紛争や人権侵害の根を断つことは簡単ではありません。さらに、平和と秩序が回復された後も、国として必要な機能やインフラが整備されるようになるまで相当な時間が必要です。ふたつ目は、「一時的に避難した周辺国での定住」。しかし、周辺国だけで受け入れるには限界があります。最後は「別の国での定住」で、一般的には「第三国定住」と言われています。 そもそも難民を生み出さない国際秩序の構築に向けた外交的な取り組みも不可欠です。さらには、難民受け入れを社会の「負担」ではなく、活力にするという視点の転換も必要です。難民に一度は失った就労や教育などの機会を提供することで、力を引き出し、生活の再建を目指していくなど、さまざまな取り組みが模索されています。

03 日本に逃れてきた難民

日本には、アジア、中東、アフリカなど世界各国から多くの難民が逃れてきています。多くの人は日本を選んで来たのではなく、逃れる先が限られているなかで、偶然日本行きのビザが下りたなどの理由から来日します。母国から迫害を受けている難民が、正規のパスポートを取得することは簡単ではなく、時にはブローカーにお金を払うなどして、「偽造パスポート」を得てなんとか逃れてくる人もいます。

日本の難民受け入れの歴史

写真:ボートピープル

難民受け入れに消極的な日本ですが、過去には難民に対して大きく門戸を開いた時期がありました。1970年代後半から、ベトナム戦争終結前後にインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)から逃れた「ボート・ピープル」と呼ばれる人々を1万人以上を受け入れてきました。それがきっかけで、日本は1981年、難民条約に加入しました。2010年には第三国定住難民受け入れを開始し、難民キャンプなどに暮らす人々を年間約30人を受け入れています。

なんで日本は認定が厳しいの?

2023年は、13,823人が難民申請を行い、認定されたのは303人でした。一方で、7,627人が不認定とされています*。
日本では、難民認定の実務を出入国在留管理庁が担っており、難民を「保護する(助ける)」というよりは、「管理する(取り締まる)」という視点が強いといえます。国際基準と比較すると、だれが「難民」かを決める認定基準や、公平性、透明性を確保した手続きの基準、難民の受け入れ体制などが不十分です。もうひとつの理由として、難民問題が日本社会で十分に知られていないこともあげられます。難民を治安悪化や社会のリスクとつなげるなど、難民受け入れに関する根拠のない誤解や偏見も、現状の厳しい受け入れ状況を後ろ支えしているかもしれません。

* 申請後、難民認定の結果が出るまで数年かかることから、申請数と認定・不認定の人数との合計に相違が出ます。審査請求(不服申立て)での不認定件数を含みます。

難民申請中の暮らしは?

写真:難民の家族のイメージ

最低限の衣(医)・食・住もままならず、来日直後、時にはホームレス状態になってしまう人がいます。難民申請の結果がでるまでには平均約3年*、長い場合で10年近くかかります。難民申請中は、政府からの支援金を受けられる人もいますが、支援金を得る審査に数ヶ月かかるうえ、受給額も生活保護と比較し、3分の2程度と限られています**。通常は、難民申請後8ヶ月すると就労が許可されるため、働きながら審査の結果を待つことになります。生活費が十分にない中で医療の受診は簡単ではありません。在留資格の無い難民申請者は「不法(非正規)滞在者」とみなされ収容される可能性もあります。
* 一次審査の平均処理期間と審査請求の平均処理期間を足し合わせた期間。2023年
** 東京都区及び市、単身の場合

コラム

04 日本での難民受け入れ

「日本は難民を受け入れるべきかどうか」と議論がありますが、皆さんはどう思いますか。現状の認定数は少なく、受け入れには多くの課題があるとはいえ、日本にはインドシナ難民の受け入れからすでに約2.5万人の難民とその子どもたちが暮らしています。まずは、すでにここにいる難民と彼/彼女らを取り巻く課題をどう解決し、よりよい受け入れを模索していくことが必要でしょう。

よりよい難民受け入れに向けて

イラスト

難民問題を解決するには、母国を平和にする取り組みは必要ですが、それだけでは十分ではありません。紛争が勃発し停戦が実現するまでに数年から数十年、荒れ果てた国を建て直すまでにさらに最低数年。その間も、難民となった人たちは生きていかなくてはなりません。難民キャンプで衣(医)食住が満たされることは重要ですが、人が尊厳と希望を持って生きていくためには、社会とつながる、働く、教育を受けるという機会も不可欠です。それは、平和や安全、教育や就労の機会を提供できる日本社会だからこそできる取り組みです。
私たちがよりよく難民を受け入れていくためには、難民が言葉や日本社会の仕組みを学ぶと同時に、私たち自身が難民を受け入れるために学び変わるという視点も重要です。違いを受け入れる寛容さを持ち、多様性を価値として受け止めるかは、私たちが問われる課題かもしれません。

自分を生かしてくれた日本で生きていきたい

難民申請の結果を待ち5年が経つウガンダ難民の言葉です。迫害を逃れてたどり着いた日本で直面するのは厳しい現実です。社会から孤立し、将来が見えない時間の中で、生きる希望、人としての尊厳を失ってしまう人もいます。それでも、多くの人は日本で身の危険がなく生きられること、自由があることに感謝したいと言います。
難民支援協会(JAR)は、そんな難民一人ひとりの来日直後から自立に至るまでの道のりに寄り添い、さまざまな支援を行っています。JARの活動は多くの皆さまの協力で成り立っています。( JARの活動)

コラム

参考

2024年3月31日更新


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