アリさんを覚えていますか。
昨年のちょうど今頃、日本に逃れてきて、JARを訪れたアフリカ出身の方です。
JARにきたときには所持金もわずかで、寝るところ、頼る先もありませんでした。
シェルター(一時避難所)は満室になったばかりで、寒空の下で路上生活を余儀なくされました。
JARで食事と仮眠をとり、事務所が閉まってからは、新宿を歩き回って体を温め夜を明かす毎日。
シェルターが空くまでの間は何とかしのいでいただくしかなく、
カウンセリングを通じて寄り添いながら、支援していました。
路上生活が続いて2週間がたったとき、アリさんはカウンセリングのなかで
「昨日、屋上から飛び降りようかと思った」と打ち明けるほど、追いつめられていました。
「いまはどん底かもしれないけれど、この状況がずっと続くと思う?」と聞くと、
そうは思わないと首を振るアリさん。
もう少し頑張ろうと、慣れない寒さのなかでの路上生活を耐え忍びました。
その数日後にシェルターに入れることが決まったときには、ぽろぽろと涙を流して喜んでいました。
残冬をシェルターで過ごし、なんとか冬を越してから、
ようやく公的な支援につながり、自力で見つけたアパートで、新しい生活がはじまりました。母国ではエンジニアをしていたアリさん。公的支援につながってすぐ、仕事について相談がくるほど、自立への意欲を強く持っていました。就労支援スタッフの勧めもあり、JARの就労準備トレーニングに参加し、職場で必要な日本語や、日本企業の時間についての感覚など、日本で働く上で必要な知識を学習しました。しばらく連絡がなく、
便りがないのは無事な証拠と思いながらも気にかけていたところ、先日、お電話がありました。
なんと、電機メーカーの工場での仕事を自ら見つけて採用され、
公的支援はキャンセルしたとの嬉しい報告でした。
電話先のアリさんの声は、1年前と同じ人とは思えないほど明るく、覇気がありました。
難民となり、すべてを失った状態から、言葉も文化も異なる見知らぬ土地で、
1年もたたずに自立したアリさん。
彼の強さと適応力に圧倒されると同時に、あらためて、支援の必要性を痛感しています。
アリさんほど生き抜く力がある方でさえ、命を絶つことを考えるほど、
日本に逃れてきた難民が直面する現実は過酷です。
この冬も多くの難民が昨年のアリさんのように危機的な状況に陥っています。
今朝も事務所前のドアの前には、寝袋をしいて待っている方がいらっしゃいました。
シェルターや食事などの提供を通じて、困窮した生活をできる限り支えます。
また、直接的なニーズを満たすだけでなく、最終的にはアリさんのように自力で生き抜けるよう、
カウンセリングを通じて、その方が持っている力を引き出す支援をしていきます。
難民がこの冬を無事に越すことができるように
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