活動レポート

【報告】『難民やLGBTQじゃなくて、「わたし」の話〜メタバース対談映像から考えるトークイベント〜』を開催しました

会場の様子

2024年6月23日、世界難民の日にちなみ、『難民やLGBTQじゃなくて、「わたし」の話〜メタバース対談映像から考えるトークイベント〜』を開催しました。約50人の方々にご参加いただきました。

第一部では「難民/外国籍者」「LGBTQ」の当事者性をもつ2人による対談の映像を視聴しました。登壇者がアバターとなり、メタバース空間で対談する様子を映像にすることで、プライバシーに配慮しつつ、少しでもオープンに話せるよう工夫をしました。第二部では映像を踏まえた上での参加者ディスカッションやクロストークを実施しました。
(イベント概要はこちら

会場では様々な視点から議論が行われましたが、本レポートでは2つのトピックを中心にお伝えします。
 1.「わたし」にとって、属性はラベリングであると同時にアイデンティティ
 2. 同じ社会で”一緒に生きる”ということ

・映像にご出演いただいた2人

「そら」さん:難民としての保護を求める親とともに、小学校低学年のときに来日。以来日本でずっと生活してきた。来日前の母国での記憶はあまりない。20代。
◁ねこのアバター

「オカオカ」さん:小学生のときに自らのセクシュアリティについて、周囲との違和感を認識。のちにゲイであると自覚。現在は、親や友人にカミングアウトしている。20代。いわゆる「日本人」。
◁ペンギンのアバター

・クロストーク登壇者
松岡宗嗣氏/一般社団法人fair代表理事
 1994年愛知県名古屋市生まれ。ゲイであることをオープンにしながら、Yahoo!ニュースやGQ、HuffPost、現代ビジネス等で多様なジェンダー・セクシュアリティに関する記事を執筆。教育機関や企業、自治体等での研修や講演実績多数。

田中志穂/難民支援協会 広報部
 一般企業を経て、2010年に入職。「難民」の社会への発信に主に関わる。産休・育休を経て一度退職し、外国ルーツの子どもへの教育支援、難民の留学生受け入れ事業等に関わる。2023年から復職。

▼メタバース映像の一部はこちらからご覧いただけます。

「わたし」にとって、属性はラベリングであると同時にアイデンティティ

映像でお2人は、社会的マイノリティの属性を持つ人たちへのラベリングについて、抵抗感や難しさを語ってくれました。「例えば同じ民族だったとしても、それぞれ性格・考え方・生活は全然違う。皆同じだと一緒くたにされることにはとてももやもやします」とそらさん。それに対しオカオカさんは、「すごく共感します。現在はSNSやYouTubeでLGBTQ当事者の声を聞ける機会は少しずつ増えてきていますが、まだまだ一昔前のテレビのイメージ(いわゆる”オネエ”)を思い浮かべる人も多いと思います」と話してくれました。属性や一部のイメージに振り回されるのではなく、「わたし」という個人を知ってほしいという思いが共通して伝わりました。

しかしその一方で「外国人/難民とか、LGBTQなんて関係ないよね!」と言われることにもまた抵抗を感じてしまう、という思いにも触れられています。民族やLGBTQなどの属性は「わたし」を形作る大切な要素の一つでもあり、「ラベルで捉えられてほしくないけど、でもそのラベルとかアイデンティティが大事な部分もある」「隠したいわけではない」と話してくれました。第二部のクロストークでは、松岡さんが「一見これらの思いは矛盾しているように見えますが、自分の属性をアイデンティティとして持っていることと、個人としてみられたいということは、私の中で両立している」と話しており、簡単に切り離すことができないことが伺えます。

あわせて、松岡さんは、当事者たち(同じ属性を持つ集団)が直面する制度上の壁を変えるには、問題はこれですと、共通性をまとめることや分かりやすさも必要なのは理解しているとも話します。「集団の中の1人」と「わたし個人」としての葛藤を当事者が抱えるなか、マジョリティ性を持つ側の受け止め方が問われていると感じました。

会場ディスカッションの様子
映像視聴後、参加者同士のディスカッションの様子

参加者からの感想にはこの点に関連したものが多く、
・ステレオタイプに関して、当事者の声を聴き続けるしかない
・全部一緒くたにされがちというお話しが、自分の経験と照らして心に残った
・メディアが注目を集めるために”かわいそう”というイメージを作って取り上げるが、そういう視点ではなく、人と人として仲良くなりたい
といった声が寄せられました。

同じ社会で”一緒に生きる”ということ

「隣にいるからよろしく」
「一緒に生きていくって、すごくいい言葉だと思うんですけど、多分気づかないうちに、すでに一緒に生きていっちゃってると思うんです」
「本当は見えてないだけで、あと見ようとしてないだけで、本当はもうすでに一緒にいる」

映像の中で2人が口にし、多くの参加者の心に残った言葉です。かわいそうに思って助けてほしいのではなく、皆と同じように平等に生きたい、特別扱いではなく普通に接してほしい、と2人は訴えていました。実際に特別扱いではなく自然と寄り添ってもらえたような経験も語ってくれました。そらさんは来日して間もない頃、プールの授業がきっかけで友達を作ることができたそう。「母国にはプールの授業がないため最初はびっくりしましたが、クラスの子が優しく教えてくれ、言葉の壁はあったもののサポートしてくれたのが嬉しかった」と話してくれました。

特別扱いをする必要はない、けれど制度の面では解決しなくてはいけない課題があるため、力を貸してほしい、一緒に声をあげてほしい」。本人たちが自分で選んだわけではない属性によって、制度で不利益を被っている面もあります。マイノリティとマジョリティの不均衡な関係性が不公正な制度を容認しているとしたら、当事者だけでなく、それに気づいた者がアライ(仲間)となって声を上げ、ともに制度や社会を変えていくことが必要。映像と会場での話を聞いて感じたことでした。

また、クロストークでは、当事者の声を聞くことの重要性についても触れられていました。松岡さんはトランスジェンダーの方たちの公共トイレや公衆浴場の使用に関する議論について、「一部の報道などを見ていると、公共のトイレやお風呂に“侵入”してくる人かのように語られる。当事者の多くは周囲から自分がどのように見られているかをよくわかっていて、トラブルが起きないよう慎重に判断しており、そもそも望む施設を使えない場合が多い」と、実態と懸念とのずれを強調していました。また田中も、SNSで難民や外国籍住民に「みんなが」困っているというふうに描かれていても、住民の人に聞いてみるとトラブルはあっても顔をあわせながら積み重ねてきた関係性もあり、むしろ、大ごとだと外の人からレッテルばりされることに戸惑うという声もあるなど、当事者や現場に近い人の声を聞くとずれに気づけることがあると紹介しました。

講演をする田中と松岡氏
クロストークの様子。fair代表理事の松岡さん(右)とJAR広報部の田中

さいごに

今回のイベントの特徴の一つとして当事者の2人にアバターに身を包んで出演していただきましたが、例えばそらさんは既に在留資格を得ているにも関わらず、なぜアバターでの出演にしなければならなかったのか。それは、彼女が当事者だとオープンにし声を上げることで起こり得る様々な懸念を払拭するためでした。SNS上では難民/外国籍者や特定の民族、LGBTQの方々に関する根拠のない悪質なデマや攻撃的なヘイトスピーチが後を絶ちません。

今回、社会的にマイノリティ性を持つ当事者の方々の声を聞き、皆さんはどう感じられたでしょうか。

参加者からは「そらさんの音声だけを聞いているといわゆる日本人にしか思えませんでした。アバターのおかげで偏見なく聴くことができた。もしお姿が見えたら、視覚情報から自分が先入観をもってしまっていただろうかとも感じました」との感想もありました。

イベントの中で田中は「ヘイトスピーチに対して、直接それを浴びせられない私たちに何ができるのかというのを考えるのも大事」と述べましたが、当事者を中心に私たちに何ができるのかを考え、そして行動に繋げることが大切だと考えます。

JARは当事者の声を届けられるよう、活動を続けていきます。メールマガジン、XやInstagramなどで発信しています。まずは「知る」ことからはじめ、皆さんが行動を起こす一助になればと思います。

最後までお読みくださり、ありがとうございます!
また、イベントにお越しくださった皆さん、当日の運営をお手伝いいただいたボランティアの皆さんに、この場を借りて感謝申し上げます。

 <イベント実施協力:麻布中学校 麻布高等学校 藤嶋咲子 / Sacco Fujishima (画家・アーティスト)>

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