「被災地のために何かしたい」「現地に行って困っている人を助けたい」。震災直後からJARには、難民たちのそんな声がたくさん寄せられました。JARとしては、「そもそも被災地に行くのか、被災地で何ができるのか」と、まだ足踏みをしている段階でした。そんな中、仲間とともに被災者への募金活動を行ったり、いち早く「被災地に行く」と名乗りを上げたのが難民たちでした。
難民の思い「社会の一員として何かをしたい」
原発の影響で、多くの在日外国人が帰国する一方、帰るべき母国がない難民たち。彼らの声を聞く中で、何かしたいという思いは、自らも社会の一員であるという強い意識と責任感に根ざしていることに気づかされました。ボランティアに参加したウガンダ出身の男性は、「震災が起きてから、自分が出来ることをやるとすぐに決めていた。それは、当たり前のこと。社会のメンバーだから。」と話してくれました。被災地の惨状と過去の経験を重ね合わせる人もいました。「被災地の空気を体で感じ、母国での戦争のことを思い出した。大変なことが起きたということがすぐにわかった」と。
陸前高田市での震災ボランティア活動
被災地のニーズに応えると同時に、難民の「被災地を支援したい」という思いを実現する場として始まった震災ボランティア事業。4月28日、難民6人を含む23人のボランティアを乗せた第一陣のバスが、岩手県に向けて出発しました。現在(5月27日)までに、ミャンマー(ビルマ)、ウガンダ、トルコ(クルド)、中東出身の難民が参加しました。
津波で流されたビニールハウスの除去作業、リンゴ園での瓦礫撤去、小学校前の歩道を覆い尽くした泥の除去など、やることは様々。震災から2ヶ月少しが立ち、瓦礫の中から所々、平たい大地が見えてきました。少しずつ、前に歩んでいる被災地の姿を感じます。
参加者の声「難民って、怖い人だと思っていました」
ボランティア参加者からのアンケートには、「人」という文字がたくさんありました。
「以前は、難民とどう接したらいいかわからなかったけど、一緒に復興支援をすることを通じて、一人ひとりと人間として接することができました」「一緒に被災地でのお手伝いをして、難民の人も自分も同じ社会のメンバーなんだと強く思いました」 「『難民』という言葉でくくると特殊な人たちなのかと思ったけど、実際に一緒に働いてみて特別な意識をすることはなかったです。逆にパワーをもらいました」
いまだに残る「難民」への漠然としたイメージや、根強い偏見。被災地でのボランティアは、甚大な被害の現実を目前に、「一人では何もできない」という無力感が先に立つと同時に、「20人集まれば、すごい力になる。人が集まって、共に力を出し合えば、何かできる」、そんな素朴なことを身をもって実感するものでした。国の境を越え、互いの違いを強みにした人との繋がりがありました。
また、6つ以上のメディアに取り上げられ、日本にいる難民の存在を広く伝えることにも繋がりました。
さらに、ともすれば「難民=かわいそう」ととらえられがちなイメージからの転換の一契機になればと願っています。
<活動実績>
■活動期間:2011年4月28日-7月31日(終了)
■参加人数:349人(内難民78人)
■参加者の国籍数:約25ヶ国
■活動場所:岩手県陸前高田市