2018.05.24
学校ではしゃべらない。日本社会の片隅で孤立する「海外ルーツの子どもたち」
家族の都合で「海外から日本にやってくる子どもたち」がいます。彼らの多くは日本語に不自由を抱え、日本の学校では教師や生徒からの無理解やいじめに見舞われがちな現状があります。また、両親など家族も同じように日本語の不自由を抱えていたり、あるいは深夜の仕事でなかなか子どもと同じ時間を過ごせないといったケースも耳にします。
今回執筆をお願いした田中宝紀さんは、2010年から8年間に渡って海外ルーツの子どもたちのための学習施設「YSCグローバル・スクール(YSCGS)」を運営されてきた方です。日本にもたくさんいる「海外ルーツの子どもたち」の現状を学ぶために、田中さんがYSCGSのある生徒さんに直接お話を聞いてくださいました。(編集部)
東京の福生にある「日本語学校×フリースクール×学習塾」
東京の西の端っこに、都内でも有数の外国人集住地域があります。その街の名前は福生市。福生は「ふっさ」と読みます。人口5.8万人で高齢化が進む小規模な自治体ですが、米軍横田基地の裾野に広がった繁華街や隣接地域の工業団地で働く人々、そして日本語学校への留学生などを中心に外国人住民が増加しています。
2018年3月の時点で総人口に占める外国人の比率は6%を超え、東京都の全自治体の中でも6番目の高さ。中国やフィリピン、ベトナム、ネパール、タイなど合計56カ国以上の方々が暮らす複雑で多文化な片田舎、そんな福生市で私たちが2010年から拠点を構えて運営しているのが「YSCグローバル・スクール(YSCGS)」です。
YSCGSは、海外にルーツを持つ子どもと若者のために、専門家による日本語教育と学習支援機会を提供する事業。6才から30代までの受講生が年間100名以上通所する、日本語学校とフリースクールと学習塾を掛け合わせたような学びの場です。
YSCGSには、福生市に住んでいる子どもだけでなく、東京都23区外全域、埼玉県、神奈川県、千葉県から、中には片道数時間をかけて通ってくる子どももいます。日本語を母語としない子どもたちのための支援は不足しており、こうした子どもたちが増加していく中で大きな社会課題となりつつあります。
私の近年の主な業務は、こうした子どもたちの現状と課題をより多くの方々に知っていただくためのアドボカシー(広報)とファンドレイジング(資金調達)です。そのため、YSCGSの子どもたち1人1人の支援に直接関わる機会はあまり多くなく、子どもたちからは「校長先生」と認識されています。「よく見るけれど、他の先生(スタッフ)ほど身近でない大人」くらいの位置づけです。
そんなやや離れた立場から間接的に子どもたちをサポートする私ですが、今回の記事を書くにあたって真っ先に頭に浮かんだ生徒がいました。その子の名前はカオリさん。日系ペルー人の3世で、ペルーでは7歳年上の兄と共に、両親ではなく祖母のもとで育ちました。両親と離れて暮らしていたのは、両親が30年ほど前からペルーを離れて日本で働いていたためです。その後、カオリさんが11歳の頃、2015年3月に兄と共に来日。福生市からほど近い街で家族そろっての生活をスタートさせました。
海外にルーツを持つ子どもの中でも、特に10才を過ぎてから日本にやってきたケースの場合は、学校や周囲に適切な日本語教育環境がなく、来日後1年以上経ってもなお片言の日本語しか身につかないことも多いというのが現実です。また、会話はある程度できるようになっても、読み書きに困難を抱えたままで学校の勉強どころではない、という状況に陥ることも珍しくありません。
そんな中、努力家のカオリさんは来日してからYSCGSに通い始める前までの2年半の間、日本語習得に関する専門的な支援のほとんどない環境でも自力で日本語を学び、読み書きを含めてかなり高いレベルの日本語能力を身につけてきました。
しかし、日本の中学生活では生徒からのいじめや教師による不誠実な対応など、日本語の壁を乗り越えてもなお残る多くの苦労があったと言います。
学校ではしゃべらない
――カオリはそんなに日本語が上手なのに「学校ではあまりしゃべらない」って言ってたよね。
しゃべらないです。私の声、聞いたことない人のほうが多いと思います。学校では「間違えたらバカにされるかな」って思っちゃうんです。日本に来て、日本語を間違えて、何回も笑われたっていう記憶があるから。それで話さなくなったんだと思うんですけど。
――日本に来てすぐ中学校に入学したんだよね?どんな気持ちでした?
いろいろと怖かったんですよ、最初。日本語話せなくて。全然違う文化の人と生活することになったんだけど、いろいろあって。外国人だから嫌なことされたこともあったんですけど、そのときに何もされてなかったら、今の自分はいないなって、よく思います。
この塾にいる人たちも辛い思いしてきてると思うんですよ。自分だけじゃなくて。自分だけが辛いわけじゃない。外国の人が(日本に)来るときは、いろんな嫌な思いもするんじゃないかって。
――高校入試の準備中、ある高校の志望理由に「外国人を積極的に受け入れているから、国際的な感覚があるんじゃないか」って言ってたよね。もし外国人の割合が多い中学校に入っていたとしたら、今とは少し違っていたと思いますか?
違っていたというより、たぶんそういう人(いじめをする生徒)はどこにでもいるんですよ。ただ、そういう人がいたとしても、(外国人が多い学校の)先生に言ったら、たぶん何かやってくれたんじゃないかなと思います。
でも、今の中学校は、外国人がいるっていうのに慣れていなくて、先生たちもどうしたらいいのかわかんないと思うんですよ。慣れてないから、それは気にしないみたいになっていて。
――全員の先生がそんな感じ?
全員じゃないですけど、私が話した先生はそんな感じでした。
私の学校では不登校の人が多いんですよ。いじめとかで。(ある不登校の生徒が)私と仲良かったんですけど、その子がいじめられてて。「先生に言えばいいじゃん」って言ったら、「先生に言っても意味ないからあきらめます」って。やっぱり先生たちに言っても何もしてくれないなって思いました。外国人だからだけじゃなく、先生はそういうのを気にしない。
ただ「頑張るしかない」って思って。今までそんな感じでがんばってきたんですけど。
<海外ルーツの子どもといじめ>
カオリさんのように、日本の学校でいじめを経験する海外ルーツの子どもは少なくありません。ある外国人コミュニティには「日本の学校に入るといじめられる」という情報が流れており、それを聞いた保護者が不安になって来日後1年近く就学を見合わせたというケースもありました。
いじめは日本人同士にも起こることですが、海外にルーツを持つ子どもたちの場合、肌や瞳や髪の毛の色といった見た目、文化、宗教など、子どもたち自身には選べないことや変えようのないことがいじめのターゲットとなりやすいのが特徴的です。こうした根本的な部分を否定されることで、自信を喪失したり、日本社会からの強い疎外感を感じたり、アイデンティティが確立できなかったりと、後々にも大きな影響を及ぼす事例も多数存在しています。
カオリさんほど多大な努力を積み重ね、日本語ができるようになった子どもでさえ、ちょっとした日本語のイントネーションや「てにをは」の間違いなど、「日本人と“完璧”には同じでない日本語」を笑われることがあります。日本語がまったく話せない段階では、イントネーションや単語の間違いなどがある意味”大目”に見られるためこうした経験はあまり生じませんが、子どもたちが努力して日本語を勉強すればするほど、からかいがエスカレートしていくことも珍しくありません。
そのような経験が積み重なることで、子どもたちの中に日本語を間違えることに対する恐怖心が芽生え、口を閉ざしていくような姿を目の当たりにするとき、マイノリティの子どもたちの努力を認められない日本社会を、どうしたら変えることができるだろうかと頭を抱えます。
一人じゃないとわかった
ーーカオリにとって、YSCGSはどんな場所なのかな。
(YSCGSでは)普通に過ごせる、楽しく。本当に見つけてよかった。勉強のことだけじゃなくて人生のこととか、ここでいろいろ学んだし。国の文化とかもわかるっていうか。
守ってくれるし、手伝ってくれる人がいるってわかったから。一人じゃないってわかったから。本当に見つけられてよかった。
学校では、すごい仲いい人としか話さないから。日本語わかっても全然使わなくて。家ではスペイン語だから。ここに来て、みんな日本語で話して、みんな外国人だから本当の自分を出せるっていうか。間違ってもいいって感じだから。
小学校のときは、すごいうるさいと思われるぐらい話す人だったのに、日本に来てすごい静かな人になったので。でも「本当の自分じゃないな」って思ってたときにこの塾が見つかって。仲良い友達が間違えても正しい言い方を教えてくれるから。他の人も同じような経験があるから、話し合えるっていう感じ。
一番話せるのはアヤ先生(YSCGSに努める理系担当のスタッフ)。友達みたいに話せる。理科のときも全然違う話になったり。アヤ先生はボケてたら突っ込んできたり、勉強が楽しくなるみたいな。それで、すごい相談にのってくれる。
ーーここで良い出会いがあったなら本当に良かった。カオリはすごく面倒見がいいよね。友達を本当に大事にしているというのが、そばで見ているだけでもよくわかります。
自分より相手を幸せにするほうがいい。クリスマスやバレンタインのときとか、クッキーをあげたりして。(そういうことを)大切じゃないって思っている人もいるけど、あげるだけでちゃんと笑顔になって。「この人チョコくれたな」って思われるなら、それはそれでいい。小さなことでいい一日になることもあるし。
隣の家の人に「カオリちゃんおはよう」って言われるだけで今日一日がうれしくなる。そういう小さなことでも人を幸せにすることができるならする。(周囲が自分に)優しくしてくれなかったからこそ、優しくしたいんですよ。
「昼間の人」っているじゃないですか(YSCGSの日中のクラスで学んでいる「来日して間もない子どもたち」のこと)。日本の学校生活って全然わからないじゃないですか。「悪い人たちに出会ったらどうするの?」って思うんですよ。
自分のことより昼間の人たち、どうなるのかなってずっと考えているんですよ。この人たちが(高校に)落ちたら。自分より、あの人たちに受かってほしいって思っていたんです。
ーーカオリにはもっと自分のことも優先してほしいけどね。
そうなんですけど。私にはまだチャンスがあったというか。自分は(日本に来て)3年くらいになるから、まあなんとかなるんですけど。でも彼らは3か月とか6か月だけじゃないですか。だから、だいぶ難しいと思う。
昼間の人って全然日本語話せないじゃないですか。だから難しいですよね。まあ3教科とか面接しかないって言うけど、全然日本語できない人たちだから。自分より難しくなると思う。私が来たばっかりのときは手伝ってくれる人がいなかったから、手伝ってあげなきゃなって。
ーーそれぞれに難しさがありますね。日本に来て半年、1年の人たちは日本語がわからなくても「外国人対象の特別入試制度」が使える分チャンスがあるとも言えるし。カオリのようにギリギリでそうした制度が使えなかったりすることもあるしね(※詳細後述)。
そう思うんですけどね。今、ものすごく怖いんです。まだ(入試の)結果が出てないし、いい結果が出たとしても希望している高校もいろんな人がいるから。(中学でいじめられたような)ああいう人がいたら…。
<外国人生徒対象入試>
カオリさんは当初「在京外国人生徒対象入試」という、外国籍の生徒で一定の要件を満たした場合に利用可能な「特別入学枠」を持つ都立高校への進学を希望していました。しかし、その枠組みを利用できる要件のうちの1つが「入国後の在日期間が入学日現在、原則として3年以内の者」となっており、カオリさんはその「3年以内」をわずか1週間だけオーバーしていたため、他の日本人生徒と同じ入試問題に、ルビ振り等の配慮もなく、挑まなくてはなりませんでした。
外国籍の生徒が高校入試において利用できる「特別入学枠」の設置状況やその内容は都道府県によって大きく異なっており、愛知県や大阪府では「来日6年以内」、山梨県では「来日7年以内」と、東京都より長い期間が設定されています。各都道府県がなぜその年数を要件としているのか、根拠は必ずしも明確ではありません。
カオリさんは「外国人生徒対象入試」ではなく、全日制都立高校の「一般入試」を受験し、合格することができました(この取材の後に合格が発表されました)。しかし、学力的には十分でありながら、日本語の力が足りないために希望する高校に進学できなかったり、高校進学自体をあきらめてしまう子どもたちも全国に多数存在しているとみられます。
――高校に入ったらやってみたいことはある?
私の趣味はバスケとダンスだから、ダンス部に入りたいなって思います。もちろん日本語の勉強もやめないで、時間を大切にして、両方がんばりたいと思う。部活に入ったらだいぶ忙しくなると思うので。今はまだ決まってないから、アルバイトもしたいし、部活もしたいけど、アルバイトを優先しようかなって。お金もらって、家のことも手伝えるから…。
――最後に、これから自分が生きていく日本に対して、こんな社会に変わってほしいという希望はありますか?
まず女性としては「男性は同じ仕事なのにもっとお金がもらえる」というのがあって。次に外国人としては差別がないのがいい。通訳する仕事に就きたいんですけど、それができなかったら「安心して仕事ができる会社」に入れたらいいなって思います。親の体験とか聞いたりして、お母さんが大変だったりしたんで。
(お母さんが)一回家にいて、一人だったんですけど。宅配会社が来て、お母さんは日本語がわからなくて、すごいキレられて。「お前日本に住んでいるのに何で話せないんだよ!」って。
そのときお母さんがすごい泣いてたから、私が守らなかったら誰が守るんだって。自分しかいないって。「そっちこそ他の国に行って言葉がしゃべれなかったらどうするんだよ!」って。逆の立場にたったら。そういうことは無い仕事に就きたいです。
――今回改めてカオリの話を聞いて、カオリのがんばり、仲間や家族への優しい気持ち、本当に素晴らしいと思いました。願わくば、高校に入ったあとも「助けて」と言えるくらい信頼できる大人にたくさん出会ってほしいと思います。今日は話を聞かせてくれて本当にありがとう。
取材後記
来日直後のカオリさんのような「日本語がわからずに学校生活に困難を抱える子ども」の数は増え続けており、2016年の時点で全国の公立学校に4.3万人以上も存在していたことが明らかになっています(平成28年度文科省調査)。さらに、うち1万人は学校の中で何のサポートも無いという状況です。
カオリさんは自らの努力と家族の支えによって困難を乗り越えてきましたが、学校でも家庭でも安心して過ごす事ができず、さらに地域でのサポートにもたどり着けないという子どもたちを、私たちは数多く見てきました。
YSCGSに日本語の学習支援機会を求めてやってくる年間100名以上の子どもたちのうち、97%は「今後日本以外の国に暮らすつもりはない」と答えています。また、年々増加する在留外国人256万人のうち、半数以上(54.6%)が永住・定住など、長期的に日本に滞在可能な在留資格を持っています。
つまり、海外にルーツを持つ子どもたちの多くが、日本国内で基本的な教育を受け、日本社会で自立していく、日本社会の子どもたちであり、未来の日本を支える大切な存在だということです。バイリンガル・バイカルチャーの「グローバル人材」として活躍する大きなポテンシャルを持つ子どもも当然少なくありません。
しかし、現在はこうした子どもたちに適切な教育機会を提供できる環境は官民合わせてもわずかであり、地域間の格差も深刻です。日本語がわからないまま「放置」状態で学校に通う子どもも少なくなく、日本人の子どもの高校進学率が100%近い現在においてもなお、地域や環境によっては海外ルーツの子どもの進学率は60%前後に留まるとみられています。
そんな状況の中、実は、YSCGSでこれまでサポートしてきた子どもたちの高校進学率は約100%に上っています。これは来日半年の生徒から日本で生まれ育った生徒までをすべて含んだ数値です。
私はこの実績によって、適切な教育機会、サポート、そして外国人特別入試枠のような制度が整えば、どんなルーツの子たちであっても、彼らが高校進学という道を諦める必要はないということが強く示唆されていると思っています。
つまり、せっかくの「グローバル人材の卵」が孵化するかどうかは私たち次第だということなのです。逆に、こうした子どもたちを放置することで、近い将来に発生する社会的な負担と損失は、みなさんが思っている以上に大きいのかもしれません。
子どもに限らず、日本語を母語としない移民の方々が、「日本語という壁」によって社会的に困難やリスクを抱えやすい存在である状況は続いています。このため、本来彼らが持っている能力やスキルが活かしづらく、母国では医者や弁護士であったという方々でも日本では工場勤め以外に職がない、といったギャップが生じているという指摘もあります。
スイスの作家マックス・フリッシュが外国人労働者問題について語った「我々は労働力を呼んだが、やってきたのは人間だった」という言葉が、最近頻繁に引用されるようになりました。やってくるのが人間である以上、そこには一人ひとりの生活があり、安心・安全に暮らしたいという当然の願いがあります。それすら満たされない社会で「活躍」することは困難です。
日本政府は、日本で就労可能な年数や家族の滞在に制限のある在留資格による、一時的な外国人労働者の受け入れを広げつつあります。外国人がこれだけ増えているにも関わらず、そして彼らの社会生活上に多くの問題が発生しているにも関わらず、「日本に移民政策は無い」という姿勢を貫こうとしています。
人の移動はそこまで正確にコントロールできるものではありません。たとえ留学生として来日したとしても、日本で恋をして、家族を築き、定住する、そういうことも大いにありえます。「いつか帰るのだから」ではなく、たとえ一時的であったとしても、日本で働き、税金を納め、暮らしを営む、そんな私たちの社会の一員として、彼らと共に生きることを考えるべきときが来ているのではないでしょうか。