2021.06.16
彼女がしたことは犯罪なのか。あるベトナム人技能実習生の妊娠と死産(1)
2020年11月15日は仕事のない日曜日だった。熊本県南部のみかん農園で働く21歳の技能実習生が、双子の赤ちゃんを死産した。部屋の中で、たった一人だった。
妊娠に気づいてからはすでに半年が経っていた。ベトナムに無理やり帰らされることを恐れ、雇い主にも、妊娠の相手方にも、誰にも言えなかった。病院にも行けなかった。前日まで働いたが、体調が悪化し、夜には耐えがたい痛みに襲われた。
一晩中苦しんだ。たくさんの血が出た。いつからか、おなかの中から反応はなくなっていた。産まれた子どもは、双子の赤ちゃんは、息をしていなかった。泣き声も、どんな声も、聞こえてはこなかった。
私はこの記事でリンさんのことを書く。レー・ティ・トゥイ・リンさんは検察に起訴された。つまり、検察はリンさんのしたことが犯罪だったと言っている。そして、リンさんは無罪を主張している。
ここでは二つの主張がぶつかっている。有罪なのか、無罪なのか。裁判はこれから開かれる。ひとたび起訴されれば、日本の刑事裁判の有罪率は99%を超える。
一晩中苦しみながら、一人で、15日の午前中、部屋で双子の赤ちゃんを死産しました。双子は全然泣かないし、呼吸もしないし、触っても反応しませんでした。そのとき、体調が悪くて、心細くて、怖くて、自分の子どもの遺体を見て心がとても痛みました。
母として丁寧にダンボールに白いタオルを敷いた上に2人の遺体を入れ、青いタオルをかけました。またベトナム語で双子の名前を付け、「安らかに眠ってください」という弔いの言葉をかいた手紙をダンボールに入れ、自分の部屋の棚の上におきました。
2021年4月24日記者会見、リンさん自身の言葉
熊本地検が起訴したのはこのリンさんの行為だ。刑法第190条、死体遺棄罪。検察は、リンさんが死産した双子の赤ちゃんの遺体を「遺棄した」と主張している。つまり「捨てた」と言っているのだ。
だが、彼女は「なぜ無罪を主張しますか?」という私の質問にこう答えた。「自分の子どもを捨てていないのに、有罪になったらおかしい」。
リンさんはすでにあまりに多くのものを失った。逮捕され、勾留され、起訴された。みかん農園ではもう働けない。警察発表にもとづく報道がなされて以降、日本だけでなく、ベトナムにおいても、彼女はネット上などで度重なる辛辣な中傷にさらされた。双子の遺体はおよそ7ヶ月にもわたって警察署から返してもらえなかった。これから示される裁判官の判断が、彼女に着せられた汚名の行方を大きく左右することになる。
この「事件」をめぐって、日本で暮らす私たちが知るべきこと、考え、語るべきことが数多くあるはずだと私は思う。
政府が把握できたもののみに限っても、2017年11月から2020年末までの間に、妊娠または出産を理由とする技能実習の継続困難事例は637名にも及ぶ。そして、自宅などでの孤立出産は、国籍の違いを超えて、この国で生きる多くの女性たちのリスクや不安、苦しみともつながっている。
これはリンさんの話だ。だが同時に、リンさん個人の身に起こったことには、彼女自身の事情や行動のみに帰すべきではない社会的な背景がある。端的に言えば、日本社会がその隅々まで頼りきっている技能実習生という名の外国人労働者たちからは、安心して妊娠し、そして出産するという、人間における根本的な権利の一つが事実上ほとんど奪い去られている。そのことの意味を、この文章を通じて、一歩ずつたどっていくつもりだ。
リンさんのしたことは犯罪なのか?なぜリンさんは誰にも相談できなかったのか?そして、もしリンさんが誰かに相談できさえすれば、それでなんとかなったはずだと言えるだけの環境が、今の日本には存在しているのか?彼女の来日から今までの経緯をたどりつつ、まずは一つめの問いから解き明かしていきたい。検察の主張通り、リンさんは死産したばかりの双子の遺体を「捨てた」と言えるのか。私と一緒に考えてみてほしい。
(*)本記事では「出産」という言葉を用いるが、そこには「亡くなった状態の胎児の出産(=死産)」も含まれることを理解してほしい。双子の死胎検案書には8ヶ月から9ヶ月の妊娠週数(つまり早産)であったことの推定に加えて、双子ともに分娩中に亡くなったことや自然死産であったことが記されている。だがリンさんの出産については、日本でも、ベトナムでも、胎児が生きている状態で出産し、その後に遺棄したかのような事実に反する情報が、時に中傷の意味合いと共に一部で広まっている。それは事実ではない。
来日から死産まで
ベトナム南部出身のリンさんは、2018年8月に技能実習生として来日した。19歳だった。実習先は熊本県南部、芦北町のみかん農園。八代海に面する比較的規模の大きな農園で、甘夏など様々な種類のみかんを育て、収穫し、日本全国へと出荷する。
そこではリンさんより先に来日した女性のベトナム人実習生(クックさん・仮名)も働いていた。クックさんはリンさんよりも日本語がうまく、リンさんは言葉の面で彼女に頼ることが多かった。
農園で働く日本人の労働者には年配の女性が多かった。その中で圧倒的に若い二人はよく働いたという。
リンさんは来日前に150万円の借金を背負っており(主にベトナムの送り出し機関に支払う費用で実習生では珍しくない)、返済を早く終えるためにも週7日休みなく働いた(返済後は週6日)。月額12万円前後の手取り給与のうち10万円ほどをベトナムに送ったものの、このハイペースで返済を進めても1年半近くはかかる。技能実習は3年間が標準的な長さだが、純粋な稼ぎになるのはようやくその後半に入ってからだった。
リンさんが妊娠に気づいたのはちょうどその頃のことだ。2020年5月。コロナ禍が世界中を覆っていた。妊娠のことは誰にも言えなかった。雇い主にも、監理団体(*)にも、クックさんにも、ほかの同僚にも、ベトナムで待つ家族にも、そして妊娠の相手方であり別の職場で実習生として働くパートナーにも、誰にも言えなかった。
(*)実習生の受け入れのほとんどは雇い主(実習実施者)が直接受け入れる形ではなく、出身国側の送り出し機関と日本側の監理団体(事業協同組合や商工会、農協、漁協など)が間に挟まる形を取っている。リンさんの受け入れもこのパターンだった。
彼女が一人で秘密を抱え込んだのは、ベトナム人実習生の間では「日本で妊娠したら帰国させられる」というのが常識として通用していたからだ。実際に、妊娠を理由に実習を途中で終わらされ、意思に反して帰国させられた実習生はたくさんいるし、妊娠以外の理由でも、雇い主や監理団体の都合で、時に強制的に、帰国させられた事例はいくらでもある。
リンさんにとっては、借金の返済に目処がつき、夏から技能実習の3年目に入るというタイミングだった。これからというときだった。彼女はまだ21歳。病気の父、働きながら一人で家庭を支える母、そしてまだ学校にも行っていない幼い弟のために、日本で働き、稼ぐことを決めた。だからこそ、そこで終わるわけにはいかなかった。まだ稼がなければならなかった。
そんなリンさんにとって、加藤美江さん(仮名)は職場以外でつながっていた数少ない日本人の一人だった。日本語学校など外国人と関わる様々な職場で働いた経験もあり、技能実習の制度や歴史にも詳しい。加藤さんは甘夏の花からアロマオイルをつくる事業を自ら展開しており、クックさんやリンさんと知り合ったのは2019年の春のことだった。二人には農園での花摘みも手伝ってもらった。道の駅で待ち合わせ、話をすることもあったという。
加藤さんが「事件」の前にリンさんと最後に会ったのが2020年9月。クックさんが技能実習から特定技能へと在留資格を変更するにあたり、その手続きを手伝ったときのことだった。二人は加藤さんに会いに電車に乗ってはるばる熊本市内までやってきた。普段は電車に乗ることもないため、加藤さんの知り合いの日本語教師が二人に付き添い、一緒に電車に乗った。
加藤さんの後悔。「一緒にベトナム料理まで食べたのに気づいていない。確かにふわっとした服を着ていたんです。気づいていれば大丈夫よって言えたのに、迂闊だったと思っています。実習生の妊娠の問題についても想像できたはずの私が、何も情報を与えられなかった。本当に後悔ばっかり。その責任を今も感じています」。
同じ頃、農園の雇い主がリンさんに対して妊娠のことを尋ねるようになる。だがリンさんは安心して打ち明けることができず、妊娠の事実を否定した。11月に入ると、同僚としては唯一のベトナム人だったクックさんが農園での技能実習を終えて、県外の職場に特定技能の在留資格で転職してしまう。体調不良の日も次第に多くなり、リンさんの孤独は深まった。
クックさんは農園を離れる直前に加藤さんに電話をしている。「リンさんのことで相談があるので一緒に会いたい」。だが、加藤さんはそのとき微熱があり、コロナのリスクも考え会わないでおくことにした。妊娠についても気づいておらず、「一般的な労働条件のことかな、またゆっくり聞けばいいかな」という気持ちだった。「その直後に事件が起こったことは、自責の念をさらに強くさせました」。
11月13日。金曜日。死産のわずか2日前。監理団体の職員が農園にやってきて妊娠のことをリンさんに尋ねた。職員からは「まだ若いので妊娠したら大変ですからやめてください」とも言われたという。その言葉に責めるような雰囲気を感じ、彼女はこの日も妊娠のことを口に出せなかった。
リンさんはこの日も変わらず働いていた。みかんの収穫で多忙な時期。彼女は収穫中も体調が悪く、登った木から滑り落ちそうになってしまう。この頃、出産はもう少し先だろうと考えていたリンさんは、少しでも長く働いたのちに妊娠を打ち明け、それから帰国して出産するつもりだった。
11月14日。土曜日。死産の前日。足が痛くて、本当は仕事を休みたかった。だが、繁忙期のため半日だけ働いた。その日の夕方から夜中、明け方にかけて、リンさんは暮らしていた民家の部屋で一人、耐えがたい腹痛に襲われる。そして、おなかの中で、胎児が動かなくなったことを感じた。
11月15日。日曜日。リンさんは午前中に双子を死産する。出血も多く、リンさんは動くことができなかった。部屋にあった箱の底に白いタオルを敷き、双子の遺体をその中に寝かせ、別の青いタオルを上からかけ、二人の名前と弔いの言葉を紙に書いて箱の中に入れた。箱はそばにあった腰の高さ程度の棚の上に置いた。ずっと部屋で一人。
同じ日の15時ごろ、農園の雇い主がリンさんの部屋の庭から「明日の10時ごろに病院に連れていく」と声をかける。リンさんは「病院に行かなくても大丈夫」と返事をした。雇い主は部屋には入っておらず、死産があったことには気づいていない。
11月16日。月曜日。10時ごろに雇い主が再び庭から声をかけ、監理団体の職員と共にリンさんを病院に連れていく。まだ、気づいていない。その後、病院に到着し、診察と検査を経て、リンさんがすでに出産していたことが発覚する。リンさんは混乱と恐怖の中で当初はその事実を否認したが、医師から警察に通報すると言われ死産したことを認める。病院から警察への通報。
クックさんから加藤さんに電話が入ったのはその少し後のことだった。「熊本の警察から電話がありました。リンさんと連絡が取れません。リンさんは大丈夫ですか」。加藤さんは即座に状況を理解し、路上にうずくまった。「11月のはじめに会ってさえいれば…」。加藤さんは自らも昔からの会員である熊本市内の外国人支援団体コムスタカの中島眞一郎さんに連絡を入れ、リンさんの支援に動き出す。警察が終始病院で待機する中、リンさんの入院は19日の朝まで続いた。
11月19日。リンさんは退院と同時に逮捕される。警察はリンさんを病院から八代警察署へと連れていき、取り調べを行う。その後、昼ごろには農園近くの彼女の部屋での現場検証。大勢のマスコミも警察と共に小さな集落へと押し寄せた。そうして、警察車両に乗っている様子とともに、リンさんの実名が死体遺棄の容疑者として全国的に報道されていく。ベトナムでも報道や噂、中傷の言葉が広がっていった。双子の遺体は逮捕前日に芦北署へと引き取られ、リンさん自身は再び八代署に連れていかれた。
逮捕以降
その後、リンさんは八代署から熊本市内の熊本東警察署へと移送され、勾留され、取調べを受ける。
加藤さんが最初に行ったのは、国選弁護人に代え、技能実習制度に詳しい松野信夫弁護士に私費で弁護を依頼することだった。二人はベトナム語の通訳者と共にリンさんと何度も面会し、警察発表に依拠したそれまでの報道とはかなり印象の異なる当日前後の状況を知ることになった。
リンさんの希望は早期の釈放と実習への復帰だった。だが、12月に入り、留置場での勾留が12月10日まで延長されてしまう。そこで、コムスタカのメンバーや熊本のカトリック信徒らが奔走し、リンさんの不起訴と早期釈放を求める署名がわずか5日間で606名分も集まった。ほとんどが熊本県民の署名。これをもとに、弁護士の請願書と嘆願書を検察官に提出したのが12月7日だった。
実はこの日、東京の警視庁大井署が自宅で死産した別の女性を死体遺棄容疑で逮捕している。彼女もリンさんと同じく医療機関を受診しておらず、前日の午前中に自宅で死産したという。マスコミはここでも警察発表にもとづき実名を報道。女性は社会的制裁にさらされた。だが、リンさんと異なるのは12月18日に東京地検が不起訴処分としたことだ。なぜこの女性は不起訴となり、なぜリンさんは起訴されたのか。
時計の針を戻す。12月10日。勾留期限の日に熊本地検は死体遺棄罪でリンさんを起訴した。夕方には松野弁護士とコムスタカの中島さんが記者会見を開き、技能実習生にも妊娠などを理由にした不利益取り扱いを禁じる労働法が当然に適用されるが、その周知義務が監理団体によって果たされておらず、多くの場合、実習生側から安心して妊娠について相談できる環境にはないという問題を提起した。検察による起訴を受け、マスコミの報道も再び展開された。
翌12月11日に起訴後初めての面会。リンさんは起訴されてしまったことにショックを受けていた。変わらず早期の釈放と実習継続を希望するという彼女の思いに沿って、中島さんはコムスタカとしてリンさん支援の寄付金を集めることにした。保釈金を準備し、すぐにでも保釈申請をと考えていた。しかし、ここで一つの壁にぶつかる。
保釈申請をするには保釈金だけでなく、身元引受人が必要だ。だが、元々働いていた農園側が起訴されたリンさんの身元引き受けと実習継続を拒んだ。理由は「マスコミが取材に来るので困る」から。小さな集落にマスコミが大挙し、全国的な報道がなされたことで、農園側は疲弊していた。こうしてリンさんは戻る場所、働く場所を失う。あまりに危ういバランスの上にしか成り立ちえない、技能実習生の立場。
こうなってしまった以上はなんとか別の実習先と監理団体を見つけなければ保釈申請ができない。実はこのとき、リンさんは元の監理団体のことをひどく嫌がっていた。農園で働き続けることは構わないが、監理団体だけは変えたい、その監理団体でなければ今回のことは起こっていないとまで言っていたそうだ。監理団体にだけは妊娠のことを絶対に言えなかった、彼らは私の味方ではないのだからと。
ここで再び加藤さんが動く。同じくコムスタカのメンバーで、韓国と日本における外国人労働者の問題に詳しい熊本学園大学教授の申明直さんの協力により、熊本県内の別の農家と、県外の信頼できる監理団体を見つけることができた。もし身元引受人が見つからなければ、加藤さんは自ら身元引受人になるつもりだった。
リンさんの勾留は長引き、留置場で年を越すことになった。中島さんは年明け後の面会で彼女が望んだ漢字ドリルを差し入れた。リンさんは同僚のクックさんに日本語を頼っていたが、留置場に入ってからは日本語を必死で勉強するようになった。逮捕の前、働き詰めのリンさんには日本語を継続的に学ぶ機会も時間もなかった。
そうして、リンさんから支援者あてに日本語で書かれた手紙が届くようになった。そこには母親として、仏教徒として、四十九日の供養ができなかったことに対する悔やみもつづられていたという。双子の遺体は芦北署に保管され続けたままだ。わずか一日、遺体を弔わなかったという警察側の疑いで逮捕され、検察にも起訴されてしまった結果、リンさんははるかに長い期間、遺体を弔うことができない状況に陥っていた。そして、そのことをとても気に病んでいた。
1月18日、新しい実習先や監理団体が見つかったことから、松野弁護士が熊本地裁にリンさんの保釈を申請する。長く外国人支援や裁判にも関わってきたコムスタカの中島さんや松野弁護士は、入管法関連の事件で逃亡や証拠隠滅の恐れなどを理由として外国人に保釈が認められなかった事例を数多く知っており、リンさんの保釈が認められる可能性は高くないと考えていた。だが「ダメ元でも」と保釈申請を決めたことがその後の展開を左右した。
2日後の1月20日、熊本地裁がリンさんの保釈を認める。集まった寄付金などから支援者が200万円の保釈金を急ぎ裁判所に納付し、リンさんは2ヶ月ぶりに釈放された。巨額の保釈金はリンさんが個人で用意できる金額ではなく、新しい実習先の迅速な探索なども含めて、外部からの支援がなければリンさんの保釈は実質的に不可能だったと考えられる。
そして、この保釈がリンさんを取り巻く状況を大きく変化させた。身柄の拘束が解かれたことで、「罪状を争わず(無罪は求めず)に情状酌量による執行猶予判決を求める」というそれまでの弁護方針を維持する必然性がなくなったのだ。もし勾留中から無罪主張をしていれば、勾留が長引き、起訴された場合には保釈も認められず、裁判自体の長期化によって実習に全く戻れないという事態が予想された。いわゆる人質司法の問題である。
起訴後ではあるものの、リンさんの身柄が解放されたことで無罪主張の余地が出てきた。また、懲役1年以上の有罪判決が出た場合には、仮に執行猶予付き判決だったとしても、入管法5条が規定する上陸拒否事由に該当してしまう。つまり、実習が終わってベトナムに帰国して以降の再来日が不可能になるという問題もあり、有罪か無罪かの違いは大きな意味を持った。こうして無罪主張への転換が決まる。
だが何より決定的だったのは、「自分のしたことがなぜ犯罪になるのかわからない」、そして「自分と同じように妊娠して苦しむ多くの技能実習生のためにも無罪を主張したい」というリンさん自身の意思だった。リンさんは転籍先で実習を継続しながら、刑事裁判で無罪を主張していくことになった。
熊本地裁はこの方針転換を受けて2月2日に予定していた公判を取り消し、2月12日に公判前整理手続に入ることを決定。そして、リンさんの在留期限である8月下旬までに地裁判決が出るようなスケジュールで、刑事裁判が進められていくことが決まった。
これで犯罪になってしまうのか
リンさんの主任弁護人である石黒大貴(ひろき)弁護士のインタビューを収録する。無罪主張への方針転換後、新しく2名の弁護士が加わり、松野弁護士と共に3人でリンさんの弁護団が結成された。石黒弁護士は事件の報道でリンさんの境遇を知り、コムスタカの中島さんに「協力したい」と連絡をしていた。それがきっかけだった。
――リンさんの裁判について、特に無罪を主張されていくうえでの争点を教えてください。
わかりました。今回リンさんが起訴されている行為は何か。リンさんは2020年11月15日に、大変なお産に苦しみながらようやく出産した双子の赤ちゃんが亡くなっているのを目の前にしました。
リンさんは、段ボールの箱の中に赤ちゃんを入れて、タオルでくるんで、その上に赤ちゃんの名前と「天国で安らかに眠ってください」といった弔いの言葉を書いた紙を赤ちゃんの上に乗せました。そして、その箱を自分の部屋の腰の高さぐらいのキャビネットに置きました。その行為が死体遺棄罪だと言われているという事件です。
――それで犯罪になってしまうんですか。
こうやって詳しく言えば、それで死体遺棄なんですか?と思うんだけれども、検察が出した起訴状の中には、リンさんが弔いのメッセージを書いたりとか、タオルで赤ちゃんをくるんだりとか、そういったことは書かれていないわけですよ。警察の発表をもとにしたマスコミ報道にもそうした情報はなかったもんですから、初めて聞かれることだろうと思います。
――初めて聞きました。重要な情報ですね。
通常、死体遺棄罪の「遺棄」は場所的な移動を伴います。例えば、殺人犯が死体を殺害現場から山中に移動して埋める。典型的な死体遺棄の事例です。
刑法第190条:死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は三年以下の懲役に処する。
――リンさんの場合は殺人でもなければ死産した赤ちゃんの遺体の移動もしていませんね。
そうです。ただ、刑法は場所的な移動を伴う遺棄行為を真正面から処罰すると同時に、いわゆる不作為、何もしないことについても一定の処罰を与えるんだという考え方で、検察の起訴状ではリンさんの「放置」という行為をもって死体遺棄だと言っています。
――放置ですか。
父母や子どもなど、いわゆる家族のことを「葬祭義務者」というんですけれども、葬祭義務者が(家族の)遺体を目の前にして何もしないという行為が、死体遺棄罪上の放置にあたるという大正時代の判例があって、今も踏襲されています。この「葬祭義務」は法律上の義務ではなく、条理上、慣習上認められるというのが判例の立場です。
――大正時代の古い判例をもとに、法律自体には書かれていない義務があるという話になっているんですね。確かに刑法190条に葬祭義務のことは書かれていません。
その大正時代の判例で注目すべきは、何もしませんでしたねという「放置」と、その場から立ち去ったという「離去」、これらを合わせて死体遺棄だと言っている点です。
死体遺棄罪は、死体を他に移して遺棄する場合のほか、葬祭をする責務を有する者が、葬祭の意思なく死体を放置して立ち去る場合にも成立する。(大判大6・11・24刑録二三・一三〇二)(下線筆者)
――死体遺棄罪の成立には「放置」だけでなく「離去」、つまり立ち去ることも合わせて必要だと。
両方必要だと言っている。しかし、リンさんは、自分の部屋で赤ちゃんの遺体と一緒に過ごしています。立ち去ってどこかに行ってもいないし、遺体を隠しているわけでもない。例えば家族の年金をもらい続けるために押し入れの奥に遺体を隠すというようなこととは違うんですね。だから果たしてこれが「遺棄」なんだろうかというのが一点目の争点です。私の調べる限りでは、離去も隠匿もなくこれだけで葬祭義務違反の死体遺棄だというのは過去にないわけです。
――「離去」がないのに「放置」のみで死体遺棄罪を当てはめるのは過去の判例からも外れると。もし今回、リンさんがその場から立ち去っていないにも関わらず有罪判決が出てしまえば、それによって死体遺棄罪の解釈がより広くなってしまう、これまでであれば無罪であったことが今後は有罪になってしまう可能性があるという理解であっていますか。
はい。実質的にそうだと思います。
――だとすれば、この裁判の結果には社会全体のあり方にも関わる重要性があるのではないでしょうか。国籍や出自に関わらず、孤立出産など、女性の出産、それを取り巻く環境や構造に対する理解の変化、福祉や保護の視点をより重視していく時代の流れからすれば大きな逆行にも感じます。
そうですね。加えて、そもそもリンさんの行為は決して「放置」ではないということも言っています。彼女には亡くなった赤ちゃんをむげに扱ったり冷遇したりという意思はなかった、つまり死体遺棄の故意がなかったということです。リンさんには赤ちゃんをちゃんと埋葬する意思がありました。
――先ほどはリンさんの行為には「離去」がないという話でしたが、そもそも「放置」でもなかったということですね。
そうです。放置ではなく遺体の「安置」です。双子の赤ちゃんを一人で産んで、孤立出産、出血もして貧血状態、体力的にも疲弊しているし、子どもが亡くなっているのを目の前にして精神的にもかなりショックを受けていたはずです。その中で手元にあった限られたものでできるだけ棺に見立て、赤ちゃんを入れたという行為です。
そもそも出産直後のリンさんにどこまでの行為が期待できたのか。これは法的な期待可能性の話です。検察は葬祭義務の中身も具体的に特定していません。「検察が言う葬祭義務って何ですか」と聞いても答えてくれないんですね。それなら彼女は15日に一体何をすれば良かったんでしょうか。警察に通報することですか。職場に通報することですか。でも法律のどこにもそんな義務は書かれていないわけです。
――「何が葬祭義務なのか」の基準やルール自体が明示されていないという問題もあるわけですか。そのため、何をすれば「放置」になってしまうのかすら誰にも明確にはわからない。にもかかわらず、そのルールを「破った」から有罪だということにされてしまっている。
これで死体遺棄が成立してしまうんだったら、技能実習生に限らず、誰にも相談できずに孤立出産で死産をした女性が、産後の母体にむち打ってでもすぐに自分で行動を起こさなければ有罪になってしまう。それは明らかにおかしいじゃないですか。リンさんの事件がそうした先例になってしまうことに大きな危機感を抱いています。むしろお母さんは保護されるべきだし、リンさんも保護されるべきだったんじゃないでしょうか。
――そもそも遺体への敬意の示し方というのは、国や文化によっても違うと思います。リンさんは外国出身であるからなおさらですが、もし日本生まれであったとしても、大正時代の判例を起点とする解釈が曖昧で明文化されていない条理や慣習で有罪無罪を決められるのは法的に極めて不安定なことだと感じます。
そうだと思います。検察が葬祭義務の中身を詳しく言えないことにも通じるかもしれませんが、葬祭文化というのは本当に多種多様であり国によっても異なります。
ベトナムでは人が亡くなったときにどういう弔い方をするのかということを検察は全く捜査していません。それで、リンさんに対して「日本では亡くなった場合には通報しないといけないことはわかってましたよね」みたいなことを言って、そういう調書も作っているわけですよ。けれど、実際に通報義務なんかどこにもないわけです。
――どこにも具体的な内容が記されていない「義務」を破っているから有罪だと。ブラックボックスですね。
刑法というのは、保護法益の侵害行為を処罰するという形になっていて、殺人であれば人の生命、窃盗であれば財産が保護法益なのですが、死体遺棄の場合は死者に対する社会的風俗としての宗教的感情が保護法益になります。その解釈の幅がわからなくなっているということは、罪刑法定主義にも反するような話です。
――死体遺棄罪の本質にも関わる問題ですね。ちなみに死亡届を出さないことについては何か罰があるのでしょうか。
7日以内に出さないと過料がありますが刑罰ではありません。住民票の未移動に対する過料などと同じですね。
――死亡届の場合は7日以内であればいいわけですね。その意味でもリンさんのしたことには問題がなさそうです。ほかにも争点がありますか。
通称墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)の3条に、埋葬ないし火葬は死後24時間以内はしてはいけないという規定があります。これは昔の名残で、要は蘇生の可能性があるからなんですね。
墓埋法第3条:埋葬又は火葬は、他の法令に別段の定があるものを除く外、死亡又は死産後24時間を経過した後でなければ、これを行つてはならない。但し、妊娠七箇月に満たない死産のときは、この限りでない。
――死産の後も含めて24時間以内は埋葬や火葬を禁ずる法律があるわけですか。
検察は葬祭義務の中身を言わないんですが、普通に考えれば埋葬か火葬じゃないですか。だから、リンさんが葬祭義務違反で死体遺棄だと言うことは、死産した15日の当日に埋葬ないし火葬をすれば彼女は死体遺棄に問われなかったと言っているに等しいわけです。でもそれでは彼女に墓埋法違反をしろと言うのと同じことになってしまいます。検察が言う慣習上の葬祭義務違反と、墓埋法という法律上の義務、これらの関係はどう説明するんですかという争点があります。
――リンさんの行為に対して死体遺棄罪を無理に当てはめようとすることで、別の法律とぶつかってしまうという問題もあるわけですね。改めてなのですが、今回のリンさんに対する警察の逮捕や検察の起訴について、先例と比較してどれくらい異例と言えるのでしょうか。これで起訴するの?という話があったと思いますが、リンさんが外国人であることが不利に働いている可能性もありますか。
大井警察署の事件がありましたよね。リンさんの状況とかなり似ていますがすでに不起訴になっています。体力的にも精神的にも限界の中でリンさんがとった精一杯の行動は起訴されるべきものだったのか、刑罰をもって処罰されなければならないものだったのか、甚だ疑問です。
2020年12月7日に、前日に東京都品川区の自宅で死産した医療機関未受診の女性が死体遺棄容疑で逮捕された事件。10日後に不起訴処分となった。
――お話を伺って、リンさんが死体遺棄をしたと判断することの不当さだけでなく、そもそも法的な罪の当てはめという意味でもかなり難しいのではないかとも感じました。ですが、一般論としては日本の刑事裁判で無罪判決が出る確率は1%にも満たないという現状があります。
検察としては、「色々と事情があるのかもしれないけれど、結果的には妊娠・出産したことは言えなかったんでしょ」と、「そしたら遺体を世間の目から隠そうとする意思はあったんじゃないですか」とね、言いますよ。遺体の取り扱いについて少しでも彼女に不備や落ち度があればそこを突っついて遺棄行為だと言ってくるでしょう。でも、ここまで様々な争点についてお話したように、妊娠・出産の事実を言えなかったことと彼女の行為が遺棄かどうかというのは全く別の話ですし、彼女には遺棄の故意もありませんでした。
――最後にもう一度確認なのですが、今回リンさんに有罪判決が出てしまえば、それはリンさんだけの問題にとどまらず、日本国籍であっても外国籍であっても、これから孤立出産を経験するすべての女性にとって罪に問われるリスクを高めることになると理解して良いですか。
はい、そうなると思います。
孤立出産は犯罪ではない
リンさんを支援するコムスタカの中島眞一郎さんや石黒大貴弁護士が何度も言っていた言葉がある。孤立出産は犯罪ではないし、妊娠について誰にも言えなかったことも犯罪ではない――。私の中で、そのたびごとにハッとするような思いがあった。本当にそうなのだ。なぜリンさんは罪に問われているのだろう。なぜ実名を公にさらされ、汚名を着せられ、犯罪者として名指されているのだろうか。
警察発表を前提とした事件報道を追うだけでは、あたかもリンさんが双子の遺体を「捨てた」こと、「遺棄した」ことは自明のように思えてしまう。例えば、このような言葉づかいを通じて。
「外国人技能実習生の女性が赤ちゃんを遺棄する事件が相次いでいる」(毎日新聞デジタル「『誰にも相談できなかった』なぜ外国人実習生の赤ちゃん遺棄事件が相次ぐのか」2020年12月27日より)
「外国人技能実習生が出産した我が子を遺棄する事件が相次ぐ」(日経新聞電子版「外国人実習生の乳児遺棄 根強い『妊娠で解雇』の誤解」2021年2月8日より)
いずれもリンさんの事件について書かれた記事から引用した。そこでは、リンさんが遺体を「遺棄した」ことがほとんど前提事項のようにして扱われている。だが、その前提はあくまで逮捕し起訴する側にとっての前提でしかなく、逮捕され起訴される側にとってはその前提こそが覆さなければいけない対象なのだ。リンさんの言葉を繰り返す。「自分の子どもを捨てていないのに、有罪になったらおかしい」。
今回、私が熊本で出会った方たちの多くは、リンさんが語る言葉に触れ、彼女が通過した経験に触れ、リンさん自身の「おかしい」という思いを共有した人々だった。私自身、「リンさんは双子の遺体を捨てた」と言えるとは、言ってよいとは、今では到底思えない。リンさんは犯罪者として裁かれ、社会的なバッシングを受け、日本から放逐されるべき人ではない。適切な保護への権利とアクセスが保障され、その率直な声が真摯に、誠実に聞かれるべきだ。
一人の外国人女性が誰にも言えずに孤立出産をし、死産のショックの中、一日そのまま部屋にいただけで有罪とされてしまう。私たちの社会はそれを「当たり前」にするのか。それとも「おかしい」と言って彼女の汚名を雪ぐのか。そのことが今、問われていると思う。(続編記事へ続く)
リンさんの刑事裁判は6月21日から始まる。彼女を支援するコムスタカでは裁判支援などのための寄付金を募っている。この記事が一人でも多くの人の目に触れることで、リンさんの境遇への理解や支援が広がればと思う。
【中編】彼女はなぜ誰にも相談できなかったのか。あるベトナム人技能実習生の妊娠と死産(2)
リンさんは妊娠を誰にも言えなかったがために罪に問われる事態にまで陥った。ではなぜ彼女は「誰にも言えなかった」のか。背景にはどんな恐れや不安があり、それらは技能実習を取り巻くどんな構造の中で生み出されているのか。問題の根源は何か?
【後編】妊娠した彼女を独りにしなかった人たち。あるベトナム人技能実習生の妊娠と死産(3)
現状の実習制度の中で、日本で妊娠した実習生の多くは中絶か帰国か選ばざるを得ない状況へと追い込まれている。その二択以外の選択肢はあるのか。「誰にも言えない」という恐怖からの出口はあり得るのか。あるとすればどこに?
CREDIT
望月優大|取材・執筆
柴田大輔|取材・写真
伏見和子(難民支援協会)|取材
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