2020.03.05

ニッポン複雑紀行のつくりかた(写真展ギャラリートーク:田川基成・下地ローレンス吉孝・望月優大)

2020.03.05
ニッポン複雑紀行編集部

去る1月30日から2月5日までの1週間、ニッポン複雑紀行として初めてとなる写真展を開催しました。短い期間にもかかわらず、SNSなどで口コミが広がり、日毎にどんどん来場者数が増えていきました。

最終日には10時の開場前に並んでお待ちくださる方々までいらしたほどで、数多くの新聞、ウェブメディア、ラジオなどでも取り上げていただき、全日程で1,500名以上の方にお越しいただきました。

会場では、展示の最初から最後まで何周も見て回られる方、涙を流してスタッフに思いを伝えてくれる方もいらっしゃいました。

「今この国にたしかに暮らしている人たちの面影が展示を観終わったあとも残ると思います」、「ウェブで見ているより一つひとつの写真、テーマをかみしめるように味わうことができました」――いずれも、来場者アンケートで記入いただいた言葉です。

この記事では、写真展ニッポン複雑紀行の雰囲気を伝えられたらと思い、会場の様子を収めた写真と共に、2月1日に行ったギャラリートーク「ニッポン複雑紀行のつくりかた」の内容をご紹介します。ギャラリートークは座席の関係で50名限りの事前予約制でしたが、予約はすぐにいっぱいになり、当日は立ち見でご覧になられた方もたくさんいらっしゃいました。

登壇者
田川基成:写真家(写真展のキュレーションを担当)
下地ローレンス吉孝:社会学者(ニッポン複雑紀行で記事を執筆)
望月優大:ニッポン複雑紀行編集長

望月優大、田川基成、下地ローレンス吉孝

ニッポン複雑紀行のコンセプト

望月:じゃあ、よろしくお願いします。最初に少しニッポン複雑紀行のコンセプトについて、それから今回の写真展のコンセプトを話せたらと思います。

そのあと一つひとつの記事の作り方ということで、例として下地さんが執筆した記事のことを取り上げます。それから(ほかのメディアにも関わっている)2人からニッポン複雑紀行の特徴などを話していただいて、最後にこれからしていきたいこと、という流れで話をしていきたいと思います。

ではまず複雑紀行のコンセプトの話。このウェブマガジンの立ち上げ当初から「ニッポンは複雑だ。複雑でいいし、複雑なほうがもっといい。」というコンセプトを掲げています。

まず前段の「ニッポンは複雑だ」には、「ニッポンが複雑じゃない」という、国の偉い人も含めて一般に持たれがちな認識に対して、それは事実じゃない、そもそも色んな人がいますよね、現実の複雑さをまず事実として認識しようという意味を込めています。

望月:それから後段の「複雑でいいし、複雑なほうがもっといい」に込めたのは、「複雑じゃないほうがいい」という価値観に対して、「複雑なほうがもっといい」んだという価値観をぶつけたいという思いです。

日本に外国籍の人が300万人近く暮らしているといった大きな話も、理解としてはすごく大事なんですけれども、同時に色々な方たちの、一人ひとりのお話を聞いていくことがとても大切だと思っています。一口に「外国人」とか「移民」と言っても、本当に様々な違いがある。そういった複雑さをまずは知ろうというスタンスでやっています。

写真展ニッポン複雑紀行

望月:次に、この写真展を最初にやろうと言ってくれて、企画全体もリードしてくれた田川さんから写真展のコンセプトについてお願いしたいと思います。

田川:写真家の田川です。今回の写真展は、最初にやろうという話が出たのが去年の春頃でした。というのはその頃すでに複雑紀行の記事が15本くらいになっていて、記事1本あたり20枚前後の写真が掲載されていたので、もう少しで写真展ができるんじゃないかと思ったんですね。

望月:ちょうど大泉での取材中だったよね。

田川:そうだね。どっちかというと僕が一方的にやりましょうって(笑)。取材に行く車の中で調べてみたら、たまたまここ(アイデムフォトギャラリー・シリウス)の展示申込の締切りが明日だ、というタイミングで。だからほんとギリギリに申し込みをして、審査を通していただいて、開催が決定しました。

写真展のコンセプトは、複雑紀行の世界観をいかに出すか。ウェブマガジンなのでたくさん記事があって、取材した方から発せられた重要な言葉がある。それをうまく組み合わせながら、写真も見ていただきたい、というのが最初のコンセプトですね。

望月:この写真展が他の写真展と違うところはどういうところにあるんですか。

田川:よくあるドキュメンタリー写真展だと、写真を額装して展示して、その脇に小さいボードがあって、例えば「2018年3月、群馬県大泉町のブラジル人学校で撮影」などと書かれている感じなんですけど、それだと書いてあることが「情報」になってしまって、言葉としての強さをあまり出せないのでそうしませんでした。

田川:記事の中から選んだ言葉は、それぞれが非常に強いし、意味のある言葉なので、これをいかに見た人に感じてもらえるかということを考えて、こういった写真と言葉の形になりました。

写真の大きさは、言葉で説明するのは難しいんですけど、例えばブラジル学校のすべり台ですべっている子どもの写真。こういう種類の写真は、スマホで見てもあまりたいしたことないというか、細かすぎて細部が見えなくて、あまり面白くないんですけど、プリントして拡大すると、色んなものが想像できたりするんですね。

望月:あのすべり台の写真はすごい気に入っていて、記事を作っていたときにも「入れたいんだけど」って言ったら、「だめだ」って田川さんに言われてしまって(笑)。でも展示にはむしろ合うということで今回は選ばれている。記事で使った写真だけでもここに展示されている10倍以上はあるし、撮影した写真はさらにその10倍以上あります。

ただ、それでもニッポン複雑紀行では他のメディアよりも10倍写真を載せているつもりなんですよ。文字数でも写真の数でも、既存のメディアにあった制約を開放してやれる媒体でありたいというか。

展示されている言葉がどの写真と結びついているか、少し曖昧にしていることについても話してもらえますか。

田川:そうですね、やってみてわかったのは、言葉をどこに置くかによって意味がすごく変わってきてしまうということ。

写真にくっつけるとその人が話したように見えるけど、少し離して置くことによって、別の誰かが言ったのかもしれないとも見えるようになって。

望月:最初にチームで話して決めた言葉の一つがある中学3年生の「私の声、聞いたことない人のほうが多いと思います。」という言葉。

彼女は僕らと会った時はニコニコしてすごい話す。でも通っている「YSCグローバルスクール」と普段の学校での表情が違う、そのことにニッポン複雑紀行に関わる色々なものが象徴されている気がしていて。きっと多くの人たちが「そうそう」と思うことが現れているのかなと思ったりしています。

田川:あと、写真がすごいとか上手いと思ってもらいたいわけではなくて、写真とか言葉を見て、考えてもらいたくて。

写真や言葉から何かを受け取ってもらって、どう想像するのかとか、これからどう日常を生きていくのか、そういう風な働きかけだと。想像してもらって視点を変えてもらいたいとか、そういうことがあります。

記事のつくりかた:企画から取材まで

望月:(会場の)右奥にあるトーマスさんの写真の記事を読んだという人はどれくらいいますか?あの記事は反響もすごく大きかったんですけど、作ったプロセスを執筆したライターの下地さんに話してもらえたら。

下地:昨年の6月くらいに次の記事をそろそろとなって。その前が「ハーフ」についての記事だったんですね。僕が次にやりたいテーマのアイデアを3つか4つ持っていって、望月さん聞いてくれるかなと思ったんだけど、意外とあんまり反応なくて(笑)。

それでどんなふうがいいかなと色々話したんですけど、元々僕が持っていったなかにトーマスさんの話はなかったんですね。2時間くらい望月さんと話をして、自分のことを振り返っていくうちに、トーマスさんという人がいてと話が出て、その人がいいねと。

望月:下地さんと最初に作った「ハーフ」についての記事は現在の日本社会のことがメインでした。ただ下地さんは現在だけじゃなくて、これまでの成り立ちや歴史のことを研究している。だから、次は「歴史」というテーマを持ってひとつ書いてもらいたいというお願いをして、それでトーマスさんに話を伺いたいということになった。

下地:トーマスさんは「アメラジアン」という僕と同じルーツで、ほとんど同じなんですけど、そうであるからこそ、「やりたい」という気持ちと、「うまくいかなかったらどうしよう」という気持ちがすごくありました。

全然知らない人にインタビューするわけじゃなくて、すでに何回かトーマスさんに会っているというのもあるし、自分にとって大切な存在だったからこそすごく神経も使うし、ちゃんと自分が向き合えるのかなと。

お酒を飲んだりしながら2人で話したことはあったんですけど、ガチンコで膝突き合わせて話を聞くっていうのができるのかなというと…。

インタビューは計画ができないんですよね。一体どういう話が出るか、その瞬間にならないとわからなくて。タイトルにもなった、「トーマスさんが軍歌を聞いていた」ということも、僕は事前には知らなかった。

下地:あの記事は前後編があるんですけど、実際のインタビューでは(記事の前後編とは逆に)トーマスさんがおばあさんの話を先にしていて、トーマスさん自身の話が聞けていないということで、そのあとに聞いたんですよね。

望月:トーマスさんは関西にお住まいで、ご自宅に泊めてくださったんですね。それで、泊まり込みだから、その、終わりがなかったんですよ(笑)。しかもその日はそもそも下地さんから「じゃあ大阪で9時くらいに集合でいいですか」って連絡があってものすごい早起きだった。東京からだと朝5時くらいに起きないと間に合わないから。

それでほんとに一日中トーマスさんから話を聞いていて、まずはおじいさんとおばあさんの話を聞いて、それからトーマスさん自身の話に移っていって…。でも夜中の12時くらいになってもまだトーマスさんが高校生だったんです(笑)。それで田川さんが「ちょっともう無理っす」みたいになってね(笑)。

田川:日没以降は自然光を使えないので、基本的に写真は撮れないから仕事があまりない。その日は朝の4時半くらいから起きていたし、さすがに遅いしもう寝ようかと。じゃあ自分が先にシャワー浴びます、みんなも交替でシャワーを浴びて寝るのかなと思ったんだけど、3人はそこから別の部屋に行ったんだよね。

望月:最初は大きいテーブルがある座敷の部屋で話を聞いていたんだけど、田川さんがフェードアウトしたくらいで、下地さんが「あっちのテーブル行きます?」という感じで何度も場所を変えようとしていた(笑)。あれはなんだったの?

下地:田川さんが寝てるから、迷惑になるかなって。あのときは「まだ終わらないぞ」って思っていたので、まだ聞けてないんじゃないかと。そのあと望月さんも一回お風呂に行って。

望月:自分もそのままでは起きていられないと思って、一回水浴びさせてもらってから復帰しました。

下地:そのあとで聞いた話が、記事の中でトーマスさんが在日コリアンの友達とカラオケに行った話で、夜中の12時ぐらいから。

記事の中では、「お酒を飲まないでシラフで話したの初めてだ」と書いてあるんだけど、すでにまあもちろん飲んでいて(笑)。それでもしっかり話を聞けて、人生で一番長いインタビューだったと思う。

望月:ほんとにすごい体力でした。

記事のつくりかた:構成、編集、写真

下地:インタビューのあともすごく大事で、僕が文字起こしをして、読み物としてはあまりにも長すぎるものを、とにかく一回望月さんに送って。

望月:たしかにメールで凄まじい文字数のファイルが送りこまれてきました(笑)。複雑紀行の記事って元々すごく長いんです、他の媒体に比べてはるかに。でもその何倍もの長さのものが送られてくると、これはもう、どうしようというか。しかも写真も選ばなくてはならないということもあって結構プロセスが難しい。

望月:同じ話を聞いても、大きく分けて二つのやり方があって、一つは僕らがやっているように、Q&Aの形でまとめていく方法。

もう一つが書き手の地の文を前面に出しつつ、聞いた言葉も合間合間に挟むというやり方。複雑紀行ではご本人の言葉を一番大切に考えていることもあって、前者の形を基本にしています。でもやっぱり聞いたものをただそのままというのでは記事としては難しい。

だからそこにはいわゆる「構成」のプロセスがあって、インタビューのこの部分を残すとか、最後に話したことを前に持ってくるとか、写真をここにこう入れるとか、そういうことを下地さんと田川さんと一緒に何往復もやっていくプロセスがあって、少しずつできあがっていく。

下地:普通のプロセスだと、ライターの僕がほぼ完成の原稿を作った状態で望月さんに送って、望月さんに構成とか編集をしてもらうというものだと思うんですけど、ほぼローデータ、生のデータを送って(笑)。

おそらくトーマスさんの記事でも「ハーフ」の記事でもそうだったんですけど、自分では受け止められない部分、自分の処理の領域を超えちゃってる色んな語りとかがあって、どこが必要なのかとか、どこを控えたらいいのかとか、話しながら記事にしていった。

だから、ライターと編集と写真という役割があるんだけれど、やっぱりあれは一人ではつくれないものだと思う。田川さんにもどんな感じで書けばいいかとか聞いたりしていて、あんまり説明入れないほうがいいんじゃない、とかアドバイスをもらって。

望月:下地さんは特に対象への思いが強いので、「言葉を削れない」というのが送られてくる生のデータからすごく感じます。でも同時に選ばないと届かないということもあって。

削り方って大きく一つのプロットごと落とすこともあるし、元々2000字のところを500字に縮めるというのもある。

そういう作業をしたり、「言葉ではなく写真で伝える」というのも結構あって、「この言葉については代わりにポンって1枚写真があればいい」ということもあるから、そういうことも考えたりします。写真については田川さん、こだわりがありますか。

田川:下地さんの記事だと、2人がやり取りしているのを、最初は僕も特に何も言わずに見たりしているんですけど、本当にすごい文字量のものがやり取りされていて、これ本当に記事にできるのかなということをいつも結構思っていて。

取材は9月上旬くらいで、記事が出たのが1月だから、全部で4か月くらいかかっている。写真に関して言うと、ある程度2人の間で記事がまとまってきて、そこで望月さんと僕とでやり取りしながら写真を決めているんですよね。

田川:普通のメディアでは、写真は納品したら、もうそんなにこちらからは何も言えなかったりする。複雑紀行と同じように写真をたくさん使うメディアでも、普通は編集長とやり取りとかできないです。

でも複雑紀行の場合はそこから写真のやり取りをしてもらえるっていうのが、写真を撮ってるほうとしてはすごく嬉しいことで。記事を見て、ここの写真はこれじゃなくてこっちがとか、毎回望月さんと結構熱いやり取りをね。

望月:両方とも結構頑固だから(笑)。ガチンコでやってます。

田川:ずーっと電話で「これはこっちだ」とか、「これは使いたくない」とか、毎回やっているよね(笑)。その辺は望月さんはどういう風に考えている?

望月:基本はやっぱりチームで作っているということを大切にしていて、話してくれた方も含めて一人ひとりの意思を尊重したいという気持ちがすごくあります。

ただそれと同時に、読んでくれる人に届けるというところもしっかり考える、その中間点をちゃんと見出すということを一番大事に思っているかな。

望月:その意味ですごく大切に思っているのは、タイトルとサムネイル(見出しの画像)、イントロ、アウトロ。この4つは特に重要視しています。

基本的にインターネットの記事は、タイトルとサムネイルだけ見ている人が中身も読んでいる人の100倍くらいいるんですよね。だからタイトルとサムネイルがヒットしないともうだめなんです。だめってことはないんだけど、中身まで読んでもらえない。

その中で、記事の中身まで来てくれた人に対して、イントロで記事の中身を読みたいと思ってもらい、アウトロでしっかり咀嚼というか、ある種の理解を促しつつ、「これは他の人にも読んでもらいたい記事だ」と感じてもらえるかどうか。そういった部分にもものすごい時間をかけています。

同時に、例えば単純に刺激的な言葉をタイトルに入れてバーっと広まればいいということは本当に思っていなくて。話してくれた人の傷にならない、その人にとって永遠に黒歴史になるようなものをインターネットの宇宙に残さない、そこを守りながら中間地点を見出す。

下地:このテーマ自体に興味がそこまでなかったという人にもめがけて。

望月:できれば、複雑紀行とはある種少し遠い考えを持っていたりとか、「逆」って言ったらあれですけど、そのような考えを持っている人がするすると読んでいったら、なんかこう「あ、うーん」と考えてしまうくらいの形で届けられたらという気持ちがあります。

トーマスさんの記事でも、彼の少年時代のある種の偏向みたいなものが語られていて、それを読んだ方からの「自分の中にもあるそういう部分に気づかされた」というようなSNSでの書き込みを見て、嬉しかったというか、やって良かったなという気持ちになりました。

記事のつくりかた:言葉とスタンス

望月:少し「言葉」とか「目線」の話をしましょうか。例えば「ハーフ」という言葉。

下地:まず「複雑紀行」というタイトルが、僕にとってこのプロジェクトに関わるきっかけですごく良かったところでした。移民文化を伝えるとしたら「ニッポン移民紀行」でもよかったわけですよね。だけどあえてこの「複雑」となっていたので、これで自分のテーマも取り上げていただける隙があるんじゃないかと思った。

移民・難民研究というのは結構たくさんあるんですけど、「ハーフ」の研究というのはそれと比べるとあんまりないんですね。それはけっこう深刻で、「ハーフ」の人はずっといたのに、その人たちのことが語られてこなかったのは、おそらく研究する人たちの発想がもう「外国人」と「日本人」、「日本人」が外から入ってきた「外国人」を研究対象として見るっていう、そういった根強い区分が一部ではあったのかもしれないなと。でも「複雑」というところで、そういった固定的な区分に捉われずに「ハーフ」の話なんかをできるかなと思いました。

あと、「ハーフ」の記事については、記事が出来上がる前に「人種」という言葉の使い方について望月さんと話をしました。それで「ハーフ」って言うと、「半分」というニュアンスがあったりして、やっぱりそれは「人種」というものを固定化して、その半分という風に読めなくもないけど、そういった意味ではないということを注意書きに書くことになって。

「人種」についての注記:「『日本人』とは何か?『ハーフ』たちの目に映る日本社会と人種差別の実際」より

下地:それでも日常生活では知らない人から突然「外国人」と言われたりとか、警察から職務質問を頻繁に受けたりとか、そういうリアルな現実がたくさんある。Twitterでも、「国籍が日本だから日本人でしょ」っていうシンプルなツイートがあったり、でも国籍が日本であったとしても解決できない日常のリアリティがある。

街頭でのヘイトスピーチや差別的な法案の解消などを目指しつつ、さらに日常生活のなにげない瞬間に出くわすような困難な経験への注目も大切だと思います。そうしたなかで、具体的な解決策だけではなく、一人ひとりの生き様を伝えられる分量と空間というのもウェブの強みで、こういった媒体も続けていくことがすごく大事だと思っています。

望月:そもそも「移民」という言葉も日本では文脈のすごく強い言葉です。だから複雑紀行のことを話すときに「移民」という言葉を使っているのには、あえて使わないようになっていることへのカウンターという気持ちも強くあります。同時にやっぱり「移民紀行」じゃなくて良かったんだと今聞いていてすごく思いました。

望月:「複雑さ」というのは、最初に下地さんが言っていたように、「日本人」が「外国人」のことを、あるいは「自国人」が「外国人」のことを、話を聞いて、調べて書く、ということではない。

「ニッポン複雑紀行」というのは、「自分のことを知る」というか、ここに暮らしている人たちが、自分たちのことを、知っていて当たり前だと思っているかもしれないけれど、実は何にも知らない、そのことを知っていくんだということだと思っています。

色々あるんだ自分たちには、ということを知っていく。しかも自分たち自身がそういう様々な構造の原因になっているかもしれない。そもそも「自分たち」とは一体誰なのか。そういうことを面倒くさいと思う人はたくさんいるのかもしれないんですけど、でも知っていくことの大事さを伝えたいという思いでやっています。

ニッポン複雑紀行の特徴・スタイル

望月:ニッポン複雑紀行はそもそも難民支援協会さんがやりたいということで始まったんですけど、世の中には新聞とか色々なものがあるなかで、わざわざ極小の予算で、NPOがこういうことをやっていることについて、どうですか。ほかとは違う複雑紀行の特徴などももしあれば。

田川:複雑紀行では、望月さんと3人で取材に行って記事を作るんですけど、すごくみんなフラットです。偉い編集長がいて、ライターとカメラマンが派遣されて、という形で記事を作るのではなく、フラットな関係性で記事を作れるから、こちらから提案もできるし、すごく意思決定が速い。

「これやりましょう」となったらすぐに取材に行けたりもするし、編集部が小さいからこそとても身軽で自由。ちょっとここ違うよなと思ったらこちらからも言えるし、それが取材にも活きるということで、一つひとつの記事のクオリティが上げられていると思います。

望月:田川さんが野口和恵さんというライターの方を紹介してくれたことがあって、それで野口さんに会ったら「私フィリピンに行くんですよ来月」と。予算がなかったのでそれならと小規模のクラウドファンディングで応援いただいて、「自分も一緒に行きます」ということもありました。そういう身軽さみたいな部分は確かにあるね。

田川:あと、毎回編集長が取材の現場についてくる(笑)。ついてくるっていうか、一緒に行く、か(笑)。現場をわかった上で記事が作れるのと、取材していない編集長がいて、ライターとカメラマンが取材して、という形で作るのとではまったく違うプロセスになる。現場を知っているから編集作業がしやすいし、編集長の意図も汲み取りやすいんじゃないかと僕は思っています。

下地:それはすごくあると思います。編集の段階のピリピリ感というか、プライバシーの問題とかもそうですし、こういった言葉はいけないとか、こういった単語は初めて見る人がいるだろうとか、身軽さと同時に、すごく神経を使う部分もある。

何気なく悪気なく言った言葉や行為でも、その前提が社会的な偏見に基づいていたりして相手を傷つけてしまう言動を「マイクロアグレッション」と言ったりするんですね。

例えば取材時に写真家さんが「ハーフ」の人に(日本語が母語ではないという前提で)「日本語上手ですね」などと言ってしまう可能性がある。「日本人らしいですね」とか。

望月:めちゃくちゃ「あるある」ですね。

下地:最初に望月さんや田川さんと取材に行ったときに、田川さんも移民の取材をやっていて、そういうことがわかっている写真家だと聞いて、インタビューをする上での安心感があるなと思いました。

望月:何気ない一言で取材が終わってしまうというか、そういうことって本当にあって。こいつだめだって。ほんとに一つの言葉の選択で終わってしまうんですよね。

田川:KFC(神戸外国人定住支援センター)の金宣吉さんの取材に行ったとき、望月さんが最初の方は特に緊張していましたよね。

望月:記事にも書いているんですけれど、金さんには色んな人が話を聞きに行くと思うんです、本当にすごい活動をやっているので。ただ話を聞く側が「多文化」とか「多様性」という言葉だけを持って、軽い気持ちで何にも勉強しないで行くと、やっぱり不愉快だと思うんです。

インタビューって、「話す側」と「話を聞く側」との間に非対称的な関係性というものがあって、でもそのことを「聞く側」がきちんと意識できていなければ、「この人はただ自分の言葉を奪ってアップしたいだけなんだな」となってしまうということが絶対あるんですよ。

「話を聞く」というのは、特別な状況で、マイクロアグレッションの話もそうなんですけど、ある種の暴力になりうるタイミングです。

そもそも「ニッポン複雑紀行というウェブメディアです」と言って、話を聞きに来るということ自体がやや意味不明じゃないですか。なんでのうのうと話を聞きたいとか言えるのという部分があると思う。

それってすごく重要なテンション(緊張)だと思っていて、そこをはき違えて、こっちが「あなたの話を届けてあげます」みたいな話になると、わけがわからない。

そうではなくて、知識だったり経験だったり、これまでの痛みも含めて、聞かせていただくんだということを、はき違えてはいけない。「当事者」というのは一体誰なのかと。それは金さんのお話からも改めて学んだことですし、いつもすごく思っていることです。

望月:逆に言うと、だからこそ「この人にしか聞けない話」というのがあるなと思っています。トーマスさんのお話が本当にそうで、どれだけ良いタイトルが考えられました、きれいに構成しましたと言っても、そもそもあの話が聞けるのかといったら自分には絶対できない。下地さんじゃなかったらできない。

そこにチームでやる意味を感じているのかなと思います。1つの短編映画のエンドロールというか、コーディネートしてくださった方とかも含めて、協力してくれた人、通訳してくれた人、たくさんの人たちの力と思いがあって、一本の記事が成り立っているんですよね。

下地:トーマスさんの話で言うと、自分にとって大切なだけ、自分一人ではちゃんとできないなっていうのがあったから、複雑紀行という媒体だと安心して、望月さん田川さんとだから取材に行けたかなっていうのがあって。自分一人だったら聞けなかったかもしれない。

田川さんが撮影の合間に色々配慮してくれるおかげでインタビューに集中できるとか、望月さんがしっかりと聞かなきゃいけない部分を聞いてくれたりする分、僕が感情的になったり話が逸れたりしても、しっかり聞けて、あとからしっかりまとめていける。

自分の中で本当に丁寧にやりたいという部分が強かった分、写真とかも含めて。たぶんトーマスさんのほうもそうだと思う。トーマスさんが出来上がった記事をすごく喜んでくれて、ほんとに良かったなと。

展示と記事の対照表上のQRコードをスマホで読み込めば、その場ですぐに記事を読むこともできる設計に

望月:さっきも話に出てきた野口和恵さんが最近書いてくださった記事を見て、これまで野口さんが関わってきたフィリピンのお母さんたちから「ありがとう」というメッセージがたくさん届いたそうなんです。

書いている人はほんとにそこを一番大事にしていて、不特定多数の人に届いて心が動くというのももちろん大事だけれど、やっぱりそういった関係の中で喜んでもらえるということを、とても大切に作っています。

これからしたいこと

望月:これからしたいことを、田川さんから。

田川:写真家としては、また2年くらい取材を続けたら、今度は写真集にできるくらいじゃないかと思っています。複雑紀行のようなコンセプトで写真集をつくりたいなというのを今思っています。

望月:田川さんは長崎の離島育ちということもあって、「移民」を国際移民だけではないものとして捉えているところがあると思っています。移住というのは多かれ少なかれみんなしているもので。長崎のキリシタンとか離島の話もしていて、そういう文脈でもやってほしいですね。

田川:僕は長崎の島の出身で、五島じゃないんですけど、島で育って色んなところに行って、今東京にいて、結婚して子どももいて。たまには帰りたいけど仕事もこっちにあるし、みたいな。「帰りたくても帰れない」ということを海外から来た移民の人たちと同じように感じていて。

ネイティブは長崎弁なんですけど、標準語で今しゃべっていて、どっちが自分の母語なんだろうみたいな、結構共通する気持ちだなというのは思ってますね。

望月:単一性が語られがちな日本にどれだけの多様性があるかということでもありますね。全然「一つ」なんかじゃない。下地さんもこれからやりたいことありますか?企画のネタバレは無しで(笑)。

下地:ニッポン複雑紀行と絡められるかわからないんですけど、ジェンダーとかセクシャリティ、あとレイスとかエスニシティだけではなくて、例えば階層とか、お金とか経済の話とか、あとは住んでる地域の話とか、その人の色んな軸があることとかっていうのも含めたお話がしたいなあ。

「複雑」っていうところでいうと、奈良とか、ほんとに昔だけど、色んな文化が入ってきている。

望月:僕はやっぱり「聞く人」と「話す人」との間にある固定的な関係性を変えたいということを最近よく考えています。「日本人が外国人に聞きます」みたいな、そういう構造自体を壊さないといけないという気持ちがすごくある。

それは象徴的なことでしかないのかもしれないけれど、ニッポン複雑紀行を作っていく人たちがあらゆる意味で多様になっていくことを目指すということだとも思っています。

ルーツということだけではなくて、ジェンダーも含めて様々なところで「なんか偏ってない?」みたいなね、今もここで3人で話してるけれど「全員男じゃない?」みたいなこととか、やっぱり起きてしまっている。それを意識的に変えたいし、今年の目標ですね。

色々な意味で、本当に複雑さを肯定するメディアにしていきたい。もうちょっと。

田川:先ほど写真集の話がありましたけど、他に何かアウトプットとして編集長として考えていることとかあったら。

望月:いつかもちろん本もね、つくりたいけれど。ただその、これだけいい写真があって、全部使っていたら9,800円くらいになってしまいそう(笑)。誰も買ってくれない。あとやっぱり、これもお金がかかるんですけど、ビデオ(動画)もやりたいですね。どこかでビデオの作品もつくってみたいというのは思っています。

運営と寄付のこと

望月:最後に重大な話をしますね。ニッポン複雑紀行は関わっている一人ひとりの熱意でやっているところがあるんですけれど、これまで続けられているのは色々な支えがあるからです。

そもそも難民支援協会さんという、財政的には全然潤沢じゃないNPOが母体なんですが、一年目は何とか自己資金というか、寄付を原資とした自己資金でふんばりました。ただ二年目はそれだけでは難しいということで、クラウドファンディングでたくさんの方に応援していただきました。この中にも、もしかしたらたくさんいらっしゃるかもしれません。本当にありがとうございます。

望月:それが結局どう使われたかというと、大阪や浜松だったり、一つひとつの取材の交通費や宿泊費などに使わせていただいています。それから、複雑紀行自体がブラック企業みたいになってしまうと問題なので、全然高くはないんですが、執筆や撮影などで関わってくださった方々に一定の謝礼をお支払いするとか、そういった形で使わせていただいています。

始めてから3年目を迎えたんですが、とにかく続けることが大事だと思っているんですね。あらゆるメディア的な企画はすぐに終わるという特性があるなかで、この写真展が今できているのも、結局ふんばって2年間やってきたからで。今日もこれだけの方が来てくださったのを本当に嬉しく思っています。

難民支援協会のそもそもの活動というのは、日本でなかなか難民認定が出ない方たちへの支援をされています。難民支援協会を応援すると、そうした現場のサポートにもつながるし、ニッポン複雑紀行の応援にもなります。もし難民支援協会やニッポン複雑紀行の理念に共感してくださったら、次はまた別の取材に行ってこいやみたいな気持ちで、難民支援協会に寄付を入れてくださる方がいたら嬉しいなと思っています。(了)

難民支援協会、難民スペシャルサポーターのご案内はこちらから。

以下の付録①「移民と写真」(田川基成)、付録②「複雑さについて」(望月優大)は、写真展の会場に展示した文章です。

付録① 移民と写真

この写真展のキュレーションを中心になって担当しました、写真家の田川基成です。私は長崎県の出身で、幼い頃、父が「日本赤十字ベトナム難民大瀬戸寮」で働いていました。それは1970年代から 80年代にかけて、船に乗って日本に逃れてきた難民の人々が一時的に生活する施設でした。人里離れた山奥にある廃校舎を利用し、常時100人以上のベトナム人がそこで生活していました。当時私の家族はこの寮の近くに住んでいたので、0歳から6歳くらいまで、ベトナムの人々と交流する環境の中で育ちました。

その後難民寮の閉鎖にともない、父の転職のため私の家族は県内の離島に引っ越しました。私は中学生までそこで育ち、高校は親元を離れて長崎市内に、大学時代は北海道で過ごしました。そして卒業後に東京に出てきて、10年が経とうとしています。また学生時代や20代の間に約3年ほど、いろんな国を旅してきました。そうした経験から、故郷を離れて暮らす「移民」に強い関心を持つようになりました。写真家としても、人間や文化の移動に関することをテーマとして取り組んでいます。

ニッポン複雑紀行の第1回目の記事には、青森県出身の阿部久志・駅長さんが「ホームシックにかかったときは、昔はみんな上野に行ってたんですよ」と言って海外出身の若者に共感し、JR 新大久保駅に24ヶ国語のアナウンスを取り入れたいきさつが書かれています。そのことにとても感銘を受けました。外国人、日本人という二分法ではなく、そうした眼差しで他者と接し、この街を生きることができたら、もっと良い社会になるのではないかと思います。

写真が他者との差異を強調するにとどまらず、観る人に新たな視点を与え、記憶を呼び覚まし、そして「問い」を提示することができればと思い、いつもカメラを手にしています。言語とはまた違い、現象をありのまま、未分化のまま提示する写真というメディアは、その可能性を持っているのではないかと信じています。

写真家 田川基成

付録② 複雑さについて

ニッポンは複雑だ。複雑でいいし、複雑なほうがもっといい。ニッポン複雑紀行はこの言葉を掲げて2017年の冬に始まりました。

その年の夏頃、難民支援協会の田中さんと野津さんから企画の相談を受けたときのことを今でもよく覚えています。「難民を受け入れられる社会をつくるためにも、移民を受け入れられる社会をつくりたい」――その最初の思いからぶれることなく、書き手、写真家、そして何よりも自らの経験や思いを語ってくださったすべての方とともに、これまで2年強、ゆっくりと積み重ねてきました。

「受け入れる」というのは語弊があるかもしれません。すでに、この国では世界中のあらゆる国や 地域につながりのある人々が暮らしています。日本の植民地支配にルーツを持つ人々は4世代目、5世代目となり、「ニューカマー」と言われる人々の子どもたちの多くも、大人となる年齢を迎えています。それがいま目の前にある確かな現実です。

私たちが取り組んできたのは、日本のどこかの地域で暮らす、暮らしていた、そんな一人ひとりから話を聞くということ。有名だから話を聞くのではなく、この国で暮らしているから話を聞く。ここで生きている、生きてきたという歴史と現実があるからこそ、伝えたいことがあり、聞くべきことがあり、そして、これは届けなければいけないと強く思うことがありました。

「複雑さ」とは何でしょうか。それは二分法の効用をあきらめることだと、いま私は思っています。 簡単には割り切れない現実の苦しさから、「わかりやすさ」によって私たちを解放してくれる二分 法の力を前にして、あえて立ち止まり、その整理を疑ってみるということ。受け入れると受け入れられるの二分法、日本人と外国人の二分法、彼らと私たちの二分法、まことしやかに語られる そういう様々な二分法は、本当のところはリアルでもなんでもないのです。

ニッポンは複雑だ。複雑でいいし、複雑なほうがもっといい。複雑さは現実でもあり、ある人が毎日を生きていくうえでひっそりと抱え続けていく一つの態度でもあります。知っているはずの対象と出会い直し、固まってしまった想像力をもう一度結び直すこと。それが、ニッポン複雑紀行。

ニッポン複雑紀行編集長 望月優大

写真:柴田大輔(ギャラリートーク)、田川基成(会場)

難民支援協会、難民スペシャルサポーターのご案内はこちらから。

TEXT BY NIPPON FUKUZATSU KIKOU

ニッポン複雑紀行編集部

認定NPO法人難民支援協会(JAR)のスタッフとライターの望月優大が共同でニッポン複雑紀行を運営しています。Twitter @nipponfukuzatsu