ミャンマー政府からは認められていない民族
国民の多くが仏教徒であるミャンマーで、イスラム教徒のロヒンギャは、西隣のバングラデシュと接するラカイン州北部に約100万人が暮らしています。ロヒンギャの語源については諸説ありますが、一説によると「ロハンの民」という意味で早くからラカイン州に定住したイスラム教徒を指す名前だそうです。アムネスティ・インターナショナルの報告書によれば、この地にイスラム教徒がやってきたのは8-9世紀のことで、特に19世紀イギリス植民地時代に大量の移民が流入しました。
このような歴史がある一方で、他の少数民族とは異なり「移民証書」を持っていないとして、ミャンマー政府はロヒンギャを国内の135の民族の一つとして認めていません。軍政期、民主化後も国民として扱われず、医療や教育など基本的な社会サービスが受けられないばかりか「あらゆる形の強奪、恣意的な課税、強制移住、住居破壊、強制労働、婚姻制限、虐待、差別」など非常に深刻な人権侵害が続いています。
「病気であるにもかかわらず強制労働を命令され、事情を説明すると暴行を受けたうえ、大きな鶏を2羽も取られた」、「土地を強制没収され、一日一食も取れず子供は栄養失調になり、私自身も病気になった。治療費のために売ることが出来たのは家庭用品と2、3羽の鶏だけだった」
これらは報告書にあるたった2つのインタビューですが、これだけでも悲惨な状況が伺えます。
このような悲惨さから逃れようとするロヒンギャは絶えず、推計では2012年から16万人が、今年1月から3月だけでも2万5千人が難民となり、人身売買や死のリスクがありながらも、木造船などで国外脱出をしています。
「ロヒンギャとは何か、日本の人に知ってほしい」
日本国内では、200人程のロヒンギャの「難民」が主に群馬県館林市で生活していますが、日本政府から難民認定を受けられたのはわずか20名ほどに留まっています。アブドゥルさんも、ミャンマーから日本に逃れてロヒンギャ難民の一人。現在は館林に暮らしています。迫害から逃れてきたものの、日本政府からはまだ「難民」として認められていません。今回、顔を出さず、仮名で、難民の存在を伝えるキャンペーン“THE MISSING FINGERPRINT”に協力いただきました。「ロヒンギャという人が大変な目に遭っているということを日本の人にもわかってもらいたい」と協力してくださったアブドゥルさんは、日本での生活について「仮放免でビザもないので仕事もできない。なんの権利もないのです」と話してくれました。
今年6月、日本政府は国際機関を通じ4億3千万円の資金協力の実施を明らかにしました。国外にいるロヒンギャへの資金援助に加え、すでに日本にいるロヒンギャ難民へ適切に難民認定を行い、日本で受け入れを進めていくことも、今、すぐに日本ができることであり、喫緊の課題ではないでしょうか。