アフガ二スタン人難民申請者一斉収容の事件を受けて、カトリック教会としてインドシナ難民支援の経験もある私たちは、放っておけない気持ちから支援を始めました。
アフガ二スタン人難民申請者支援として行ったことは、住居の確保、支援金の呼びかけを中心とした生活支援です。住居はカトリック教会、修道会に呼びかけるなどして、数箇所を確保することができました。そのなかには、食事なども提供して頂いた施設もあります。
2001年10月に、入管収容施設から仮放免された方に用意させていただいたカトリック潮見教会には、NGO関係者、弁護士等、支援する人が多く訪れ、時には食事をともにするなど、交流の場にもなっていました。市民社会への呼びかけに対し、多くの市民が、様々な支援にいらしていたことも印象的でした。
またNGOの方などに協力して頂き、彼らを病院に同行して頂くことや、トラブルなどがあったらかけつけることもありました。私個人としても4人のアパート賃貸契約の連帯保証人にもなりました。
有川憲治さん(左)
このように多くのアフガ二スタン人難民申請者と接していて感じた事は、彼らの自立しようという強い気持ち、迷惑をかけちゃいけないという気持ちです。コミュニティーがあったことも一因だとは思いますが、彼ら自身が自立にむけた努力をしていました。それは支援する側としてもその支援をとてもやりやすいものにしました。彼らは、ここまで支援してもらったら自立できるとはっきりいい、私たちはそこまで支援すればよかったのです。
また、幸い多くの善意の支援金が集まり、金策に奔走せずにすみ、彼らの自立できる環境作りに向けて本来の支援ができたと考えています。彼ら一人ひとりと向き合い、相談しながら自立にむけたきめ細やかな支援ができていたのではないでしょうか。それは一人ひとりの状況を書いた当時の状況報告書からも窺うことができます。
支援する側、支援される側という垣根を越えて、お互い人間としてよい関係を築く事ができていたと思います。
しかし、2001年12月の再収容を始めとして、彼らのほとんどは再び収容されていきました。十条にある収容所まで彼らを送っていった事を覚えています。
今から当時を振り返ると、アフガニスタン人難民申請者支援がその後の私たちの難民支援の原点だったといえると思います。
2001年9月11日の同時多発テロ、それに続くアフガニスタンへの空爆を私はテレビではるか遠くの出来事として見ていました。その余波が、私の身近に起こるとは想像もしませんでした。日本政府が、その問題を闇に葬ろうとしていたことも、私は放っておけませんでした。
インドシナ難民支援がひと段落し、私は国内での難民問題は解決したと考えていました。しかし、日本には他の地域からも難民がきていたのです。その存在を知り、支援をするきっかけとなった出来事、難民問題に関心をもち、日本にも難民をより多く受け入れるべきではないかと考えるきっかけとなった出来事が、アフガニスタン人難民申請者支援であったと思います。それは日本社会においても同じであったのではないでしょうか。
また、NGOなど他の団体と協力し支援したのも初めてだったので、その後のネットワーク形成にとってもよい経験となりました。
当時から今に至るまで、私たちは難民支援、外国人支援活動を行ってきました。その数は年々増えていて、ケースワークが増加するにつれ、一人ひとりに細やかなサポートが、人的、時間的な制約で、できにくい状況になってきています。そんなとき、一人ひとりに十分時間をとって接することができたことを思い出し、支援の原点、あるべき姿を反省させられます。
カトリック東京国際センター(CTIC)
http://www.ctic.jp/
2010年1月15日掲載