突然の収容・強制送還
しかし、いつまでたっても在留資格は与えられません。収容からの「仮放免」という不安定な状態(「仮放免」の詳細は、こちら(※「難民認定申請を行う人への助言」をご覧ください。記事掲載当時は2009年4月版を参照)の13ページ参照)のまま迎えた翌年1月17日、父子は入管に収容されました。「仮放免」の延長手続きのために義務付けられた月1回の入管への出頭に、いつも付き添っていた東さんが仕事で行けなかったこの日、入管は彼らを何の前触れもなく収容したのです。泣きながら電話してきた二女の説明に東さんはショックを受けながらも、抗議の記者会見を翌日に開こうと動き出します。ところがその記者会見の最中、父子を乗せたトルコ行きの直行便は離陸。突然の収容から24時間もたたないうちに強制送還されるなど、まったくの想定外でした。
家族や支援者は泣き崩れ、抗議のために準備した記者会見は、不本意にも強制送還を報告する涙と嗚咽の入り混じったものとなりました。残された家族のショックは形容しがたいものでした。父と兄が飛び立ったことを知った二女は、感情を抑えられずに泣き叫び、しばらく床の上を転げ回ることで怒りと悲しみを放出しているようでした。しばらくして起き上がった彼女の目を、東さんは今でも忘れられないといいます。その目は表情のないガラス球のようで、完全に喪失状態でした。
UNHCRが難民と認めた人を迫害のおそれのある国に送還することは、難民条約の「ノン・ルフールマン(送還の禁止)原則」と呼ばれる条文(第33条)に違反するだけでなく、最悪の場合はその人の死という取り返しのつかない事態に直結します。また当時、カプラン一家は、最高裁判所に退去強制令書取消訴訟を上告中でした。訴訟継続中にもかかわらず、送還を決行した入管の判断は、国内法上も違法性を問われるべきものでした。JARは、抗議声明をただちに出し、またUNHCRも、プレスリリースにおいて異例ともいえる重大な懸念を表明しました。
強制送還の余波:停止されたマンデート難民認定
マンデート難民の送還に踏み切る行為は、UNHCRの任務遂行に協力することを加盟国に義務づけた難民条約第35条にも真っ向から反するため、とりわけUNHCRに大きな衝撃を与えました。強制送還からしばらくの後、UNHCRによる日本でのマンデート難民の認定はなくなりました。これについてUNHCRは公式見解を出していません。しかし関係者の多くは、日本政府の難民認定と並行する形でUNHCRが独自の判断を続ければ、日本政府との間に対立関係や混乱を生じ、結果的には難民を保護することにつながらない、というUNHCRの判断がその背後にあったとみています。
UNHCRの決定は、支援の現場に少なからぬ影響をもたらしました。シェルター、食料、生活費などの支援を行う民間団体は、限られた予算のなかでより必要性の高い人、つまり難民性が高い、ないし人道的な配慮を必要とする人を優先的に支援しています。そこで目安としてきたのがUNHCRの見解、つまりマンデート難民かどうかでした。難民性の判断の停止以降、それぞれの団体が支援の必要性を独自に判断せざるをえなくなりましたが、それにも限界があります。やがて、UNHCRとのパートナーとして難民申請者の情報を管理し、申請手続きの支援を担うJARに、こうした支援団体や弁護士から難民性の判断を求める声があがるようになります。
これに対しJARは、適切なプロセスを経ずにその人が難民であるかどうかという命に関わる判断をすべきでないと考え、慎重に対応してきました。JARが難民性の判断にかかわる場合、法務省に申し入れてきた適正な難民認定審査と同じレベルのプロセス・手続きをJAR自らが整える必要があります。一例を挙げれば、申請者の言語や社会・文化的背景をも配慮し、現地語の通訳を介す、代理人をつけるなど適切な環境を整えた上で聞き取りを行うなどです。これらを実施できる体制がJARに十分に備わっているとはいえない現状のかたわらで、ここ数年、難民申請者の急増によって、支援に一定の強弱をつけなければ立ち行かない状況が加速しているのも事実です。当然、難民性の判断が求められる局面が増え、JARにとってジレンマが続いています。
難民かどうかより、人間として支えあいたい
このように「難民性が高いかどうか」に関心が集中しがちななかで、「難民だからというよりも、むしろ一人の人間として彼らを放っておけなかった」という東さんの言葉にはとても大きな意義があります。「罪のない子供達の理不尽な苦しみを取り除きたい」という気持ちがきっかけでカプランさんやヤマンさんを支えることになった東さんは、やがて難民という存在について考えるにつけ、「危険を感じたことを客観的に説明することは難しく、また絵に描いたような善良な難民はいない」と実感したといいます。実際、難民性が高いのかどうか、どうしても第三者にはグレーに見えてしまう領域が多いものです。だからこそ難民性を審査するには慎重な聞き取りと判断が求められているのですが、東さんの思いは、そうした慎重な審査の必要性よりむしろ、グレーゾーンの申請者なら放っておいていいのか、同じ人間としてそれが許されるのか、という根本的な問いに注がれているように思えます。
東さんは最後までカプラン、ヤマン両家を支え続けました。父子が送還された後も残された家族を親身に支え、強制送還から丸一年後、UNHCRの奔走によってこぎつけたニュージーランドへの第三国定住にむけ、家族を送り出したのです。毎年250名前後の難民を受け入れているニュージーランドはカプラン一家を特別枠で受け入れ、父親や兵役にとられていた長男もやがて合流することが叶いました。またヤマン一家も、キリスト教団体に引受人となってもらい、カナダに難民として受け入れられました。
2年半を振り返りながら、人間として支えあう関係を築けた秘訣を東さんはこう語ってくださいました。
支援者も楽しくなければ長くは続けられません。そして無理をしないことが支援を続ける秘訣だと思います。疲れた人はいつでも休んで良いし、元気が出たらまた一緒にやればいい。気張らずに楽しんだから、結果的に長く支援を続けられた気がします。
東さんのような支援者との連携の上にJARの活動は成り立ち、難民申請者の生活が支えられています。申請者数の急増によって難民との接点が増し、また、在留資格を持つ難民の増加によって彼らを「生活者」として受け入れる必要性が高まっています。政治や制度だけの問題とするのではなく、日本社会、ひいては私たち一人ひとりの受け入れの姿勢が試されている、ということができるのではないでしょうか。
*参考資料としてこちらもご覧ください。
JAR主催 「緊急レクチャー 『クルド人強制送還はなにが問題か?』」実施報告
2010年4月27日掲載